明日の君に捧ぐ

Written by Chisato. No reproduction or republication without written permission.

「トト子、彼氏ができたの」
 ガツン! その言葉に頭を殴られたような衝撃を受けた。でもすぐに気を取り直して表情を作る。まず目を丸くする。次に驚いた声を出す。
「えっ! ほんと?」
「ほんと」
 トト子はにこにこ笑って応えた。わたしは興味津々というふうに尋ねる。
「どんな人?」
「うん、岡くんっていうんだけどね――」

 トト子の彼氏は岡くんというそうだ。トト子よりも二歳年上で、有名な国公立大学の薬学部を卒業した人らしい。今は薬剤師として働いていて、おいしいものをよくご馳走してくれるようだ。
 岡くんのことを嬉々として話すトト子は、なんだかきらきらして見えた。まさに恋する女の子という感じだった。つるんとした白い頬には幸せの色がさしていた。かわいかった。羨ましかった。わたしは、トト子のように彼氏の話なんてできない。
 わたしの好きな人はクズだ。
 わたしよりも二歳年下で、ちっとも働かずに親の脛をかじって生活している。もちろん何かをご馳走してくれることなんてない。むしろ、今日、金ないから奢ってくれない? なんて手を合わせて言ってくる。
 そのクズは六つ子の三男なのだけれど、兄弟みんな揃いも揃ってバカでニートだ。両親が離婚しようとしたとき、親が不仲になってしまったことよりも自分たちの養い手がいなくなることを気にしたと言っていた。わたしは愕然とした。
 クズは、そんな兄弟の中では自分が唯一常識人だとか、ちゃんとしているとか主張している。わたしも六人の中ではクズが最もまともだと思う。でも、だからこそ厄介で、クズがクズたる所以だ。わたしが仕事の話をふる度、ちゃんと働くよ? 本当だって! と応えるクズは無職であることを兄弟のうち一人だけ気にしているらしい。しかし、未だに仕事に就いていない。 中途半端な希望は存在しないそれよりも質が悪い。こちらを期待させるだけさせておいて、肩透かしを食らわせる。
 子どもの頃のクズは、チョロ松という名前の通りチョロチョロ素早かった。スポーツが得意で足も速かった。わたしが泣いているとき、いつも一番に駆けつけてくれた。そして、わたしの泣き顔を見てはおろおろし、得意でないボケを披露してくれるのだった。正直なところ、チョロ松のシュールなすべり芸はあまりおもしろくなかった。でも、一生懸命泣き止ませようとしてくれる姿が嬉しくて、わたしは笑った。チョロ松は自分のギャグがうけていると勘違いし、盛大にすべった。また笑った。チョロ松は、わたしの、かっこよくないヒーローだった。
 大人になってもう泣かなくなったというのに、チョロ松は今でもわたしのもとへやって来る。なぜなら、わたしがトト子の姉だからだ。きっと、お金を貸してくれる相手だからだ。
 命短し恋せよ乙女なんていうのは酷い文句だと思う。どうして、ただでさえ短い人生を、辛い恋に費やさなければならないのか。
 ああ嫌だ。ろくでなしのチョロ松も、かわいい妹も、妹に愛想笑いするわたしも、嫉妬するわたしも、何もかもが嫌だ。
 でも、この気持ちは捨てられない。
 、泣かないで。明日は明るい日なんだよ! 今度はきっといいことがあるよ。
 そう言ってくれたチョロ松を、優しさに笑ったわたしを、チョロ松をずっと好きでいたわたしを、なかったことにはしたくない。こうしてうんうん悩んでいる時間を消されるのもごめんだ。わたしは、全力で恋をしている。

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