煙火

Written by Chisato. No reproduction or republication without written permission.

 寄せては返すさざめきが、安っぽくて暖かな電球色に照らされている。その間をふたりで歩く。流されないように注意しなからうしろを振り向くとちいさな頭がついて来ていた。それを確認して前を向く。祭囃子の中連なる屋台ののれんには色取り取りの賑やかな文字が踊っていて、金魚すくい、ヨーヨー釣り、ラムネ、わた菓子、林檎あめ、たこ焼き、焼きそば、唐揚げ、エトセトラがわたしたちを手招きしている。この風物詩は去年も一昨年もその前からも毎年ずっと変わらない。それなのにちっとも飽きなくってふしぎだ。
 水中コイン落としの前を通ると、ガラスの水槽の透明さがレンズ越しにやけに網膜に焼き付いた。透明なことはガラスの性質であってガラスのはたらきではない。でも性質がそのままはたらきになっている。それはとても素敵なことのように思えた。
 だれかを救いたくて呪術師を目指しているわけではない。呪術師であることはわたしがわたしの存在を確かめる方法だ。呪いを祓えば祓うほどわたしの輪郭は濃くなる気がする。ここにいるという確かな感覚とここにいてもいいという理由がわたしに生きていることを教えてくれる。
 ほんの数年前まで自信も居場所もなくて、ただなんとなくひたすらにもっともっと明るい場所を、それが何処かなんてよく分らないくせに泣きたくなるほど焦がれていた。そんな迷子の女の子の前に呪いの道は示されて、閃光のような鮮やかさで世界を一気に変えてしまった。
 この見える目は呪術師たちにとって最低限の素質でスタートラインに過ぎない。それでもわたしの中で初めて見出だすことのできた才能はアイデンティティになった。
 わたしはわたしのために呪いを祓う。そうして七個分の満月を越えてきた。呪術師であることはきっともう性質みたいなものだけれど、祓って祓って祓った先に誰かがいて誰かの役に立つ日が来るかもしれない。それはまるでガラスのように。そうだったらいいと思う。

 うしろの恵くんがわたしの肩のあたりに視線を向けている。
「それ、重くねえの」
「うん。もう慣れてきたよ」
 わたしは青いノースリーブのワンピースに不釣り合いな真っ黒な刀袋を背負い直す。中の刀は高専に入学して間もなく与えられた。呪いは物に憑いている時が一番安定しているらしい。刀の扱い方を覚えるところから始めて、最近では同級生に様になってきたと言ってもらえるようになった。
 近接戦闘は向きか不向きかで言えば不向きだ。ずば抜けた反射神経も瞬発力もなければパワーがあるわけでもない。術式の特性上いざというときの近接戦闘が必要とはいえ、不向きだから諦めて向いていることで補う方法だってあった。でも、何に対してもそこに気持ちがあれば取り組む資格にはなるというのがわたしの持論だ。それだけで刀を握り続けてきた。
 恵くんは少し間をあけて口を開く。
「怪我」
 その単語で五条さんがまたわたしの知らないところでわたしについて話したことを察した。あの人はそういう所がある。わたしの最新情報は恵くんの最新情報と同じように五条さんによって勝手に更新されていく。
 先日同級生と二人組で任務に向かって、予想外に手こずりわたしは肩に深手を負った。気が狂いそうな程の痛みと酷い出血。呼吸は乱れて吐き気がした。それまで目の前が真っ白になるなんて比喩でしかないと思っていたのに実際にあり得ることだった。身をよじるようにうずくまって、何も判別できない視界を睨みながら本気で死ぬかもしれないという危機感が背中を滑り落ちた。
 これを恵くんは知らなくていい。
 わたしは振り返りながら話す。
「治ったよ」
「……どれくらい」
「完治。家入先生がまるで無かったことみたいにしてくれた」
「無かったことと治ることは違うだろ」
 思わず息をのむ。
「うん」
「痛みも怪我も無かったことにはならない。はいつか、見えない傷だらけになっていくんじゃないかって思う」
 と言って、恵くんは目を伏せた。この男の子はやさしい。
「床だって傷付くもの。人間も無傷ではいられないよ」
 わたしは前を向いて言った。
 体を作るものは食べたものだけではない。見たもの、聞いたもの、出会った人、傷ですらみんな血や肉になる。そうやって勝手にどんどん自分が作り上げられていく。不気味だけれど嫌いではない。
 ワンピースの背中あたりの生地を控えめに引かれる。
「無傷でいるつもりはあるのかよ」
 懇願にも似た問いかけのように聞こえた。
「ない」
「分かってたけどは、が傷付けた人間の存在を多分半分も知らないでいる」
 裏切られたような声を背に、まつげの上に知らず知らずの罪が層のように重なっていく感覚があった。視界が沈む。ひゅうという細い音と爆発音が耳を突き抜けた。まぶたの裏に光がかかる。花火だ。
 恵くんと横並びになって夜を見上げる。真っ暗なキャンバスにまばゆい極彩色の粒がとめどなく炸裂する。煌めいて煙とともに溶けるように消えては浮かび上がる。
「きれい」
 すっかりお守りのサングラスを額に上げる。自分の目で見たい。
「火薬だろ」
 青にも緑にも見える瞳がわたしを捉えていた。
 彗星が尾を引くように金色が空へ昇っていく。光っているものはどうしてもどこかに影を作る。影しか見えないひとだっているし、影のほうがいいとすねているひともいるだろう。わたしたちは、明るい宵にいる。

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