火種

Written by Chisato. No reproduction or republication without written permission.

 中学生になってからへんなものが見えるようになった。妖怪みたいなそれは初め見えない何かがいるという主張をするだけだったのに、わたしがなんだかすっきりとしない気持ちを抱きながらそのまま過ごしているうちに存在感を増していった。気配のするあたりから靄のようなものが漂うようになると、靄はどんどん濃くなって色が付いて、輪郭、目らしき部位、鼻にあたるであろう部位などが空中だったり誰かの肩だったりに現れると妖怪みたいな姿が完成した。
 わたしは誰にも言わないでこっそりとお小遣いでお祓いに行ったけれど、神社もお寺も酷く禍々しい雰囲気があって入り口から覗いただけで終わった。絵馬の近くと奥のほうが特に嫌な感じだった。それからはなるべくへんなものを視界に入れないように下を向いて一日一日をひたすら凌いだ。
 でも今日は空気も空も綺麗だったから。思わず顔を上げていた。
「ふうん、それで飛び出しちゃったんだ。なるほどね」
 白髪のお兄さんは頬杖を付いて言った。すらりと長い足は病室の椅子の高さと合っていないようですこし窮屈そうに組まれている。わたしは半透明の淡く光る手をおなかの前で握った。
「君のそれは所謂幽体離脱っていう状態に近い。厳密に言えば離魂と呼ばれる立派な術式さ」
「リコンジュツシキ」
 わたしは言葉を噛み砕くように言った。
「そう。体から魂が離れることによって呪力量が跳ね上がる。君が今まで見てきた変なものは呪いで、呪いは人間から流れ出た負の感情でできてる。呪力は呪いを祓う力みたいなもの。んで、魂が抜け出て空っぽになった体は無防備になるわけ。殴られたり蹴られたりしても抵抗できないし、致死レベルの損傷があれば死ぬ。体が無事でも魂が体にかえれないとやっぱり死ぬ」
「わたし、死ぬんですか」
「さあ。それは恵次第かな」
 お兄さんはメグミくんを顎で指す。メグミくんも椅子に座っている。
「現状君の意思では体にかえれないみたいだから恵に魂呼いをしてもらう」
「タマヨバイ」
 わたしが言うとお兄さんはタマヨバイの説明を始める。タマヨバイは魂呼いと書き、病人が息を引き取ると家人の誰かが屋根の棟に登って、瓦を何枚か剥いて叫んだり、山や海、または井戸に向かって呼んだりする風習らしい。『小右記』にも藤原道長が亡くなった娘を魂呼いによって呼び戻そうとしたことが記録されているそうだ。昔ならともかく現代日本の呪力のない一般人がしてみたところで効果はないから、わたしとの繋がりも呪力もあるメグミくんにしてもらおうということだった。
「魂呼いは術者と被術者の結び付きが重要なんだ。だから自己紹介しよう。それどころじゃなかったでしょ。僕は五条悟。見ての通りGLGな二十一歳。好きな食べ物は甘いもの。趣味と特技は特になし。僕大抵なんでもできちゃう最強だから。恵」
「伏黒恵」
「それだけ?」
 五条さんが口を尖らせる。恵くんはしっかりと着込んでいて傷の様子がわからない。勢い良くわたしに転がされたからあちこちを擦りむいたはずだ。
です」
 あとに続く最適な言葉を考える。けがは大丈夫? びっくりしたよね? ごめんなさい。違う。恵くんは滑った車に轢かれそうだった。わたしはとびだして恵くんを助けていた。そこに筋もべきもない。
 空っぽの体は車によって人形みたいに飛ばされて、いま仰々しく包帯を巻かれてベッドに横たわっている。
 もしあの時とびださなかったら、もし恵くんがいなかったら、車が滑らなかったら、顔を上げていなかったら、あんなに世界が澄んでいなかったら、へんなものが見えなかったら、仮定をいくら並べてみたところで役に立たない。人生はわたしにも恵くんにもこのお兄さんにも等しく一度きりで、一度起こってしまったことは変えられない。でも未来はどうだろう。意図がきちんと伝われと願いながら恵くんの前にしゃがんで目を合わせる。
「恵くん、もしわたしが死んでも好きなように生きていいよ」
「は?」
 恵くんに鋭く目で射抜かれる。
「わたしが死んだとしても誰が悪いとかなんのせいとかはないと思うの」
 わたしのけがは骨折だけだと聞いている。わたしが死ぬ理由はわたしだ。勝手に体からとびだしてかえれなくなってしまったから死ぬ。
「それなら、いなくなる人間が他人を縛るのは違うでしょう」
「あのさあ本当に生き返るつもりある?」
 五条さんがぴしゃりと言い、続ける。
「物分かりが良すぎるというか殊勝すぎて気持ち悪いんだけど。生きたいっていう気持ちが大事なんだよね。したいこととか将来の夢とかそういう執着ないの?」
 五条さんの目は隠れているけれど、わたしを果てしなく見透かしていると感じた。
「……死にたいわけじゃありません。でも生きたいかと言われるとすこし違っていて、そんな熱量はなくて、ただまだ見たことのない新しくて心が踊るような世界に行きたいんです」
 いつも重力が重たい。十四年ぽっちの人生は不幸というほど悪いものではなかったけれどすごく幸せというわけでもなかった。何かが足りない。さびしい。そんな程度のさびしさは普通一人でどうにかするべきかもしれないし、誰にも理解してもらえないなら一人で抱えていくしかないと思ってみても、もっと息のし易い場所をどうしようもなく求めてしまう。
 五条さんが喜色を浮かべて口角を上げる。
「それじゃあ、きっかけをあげる」
 何かが変わる予感が雷のように白く光って落ちる。
「呪術師になったら?」
「ジュジュツシ」
「日本国内の怪死者・行方不明者は年平均一万人を超える。そのほとんどが呪いによる被害だ。呪いに対抗できるのは同じ呪いだけ。だから呪術師は呪力を以て呪いを祓う」
 この人の目にはたくさんのものが見えていて、その上シンプルに捉えられる才能があるような気がした。
「なります。呪術師」
 息を吹き返す準備はできた。なんだか明日が楽しみなんだ。

inserted by FC2 system