黄泉戸喫

Written by Chisato. No reproduction or republication without written permission.

 わたしって、ふらふらしてばっかりだなあ。名瀬さんから鉄華団のイサリビでしばらく整備をするよう言われたとき、そんなふうに考えた。だからはいと返事をするのが少し遅れてしまった。はっとして出した声は震えていて情けないものだった。そこで、タービンズのみんなが大切になっていたことにやっと気付いた。わたしはいつもタイミングが遅い。

 わたしが不安そうに見えたのか、名瀬さんは安心させるみたいに頭をわしわしと撫でてくれた。鉄華団にはMS専門の整備士がいないらしい。わたしはMSの整備ができるし、いざとなったら出撃できるし、目付役にぴったりなんだとも言われた。でもきっと理由はそれだけじゃない。名瀬さんはわたしがMSに乗るのにいい顔をしない。なんでも、生き急いでるいるみたいに見えるんだって。

 だから、イサリビに整備士として移らせて戦わせないつもりなんだと思う。

「ガンダム・バルバトス……」

 静寂の中にふよふよと浮かびながら、わたしは一機のMSを見上げる。トリコロールカラーで塗装されたそれは、懐かしい記憶を呼び覚ます。General Unilateral Neuro-link Dispersive Autonomic Maneuver Synthesis System――単方向の分散型神経接続によって自律機動をおこなう汎用統合性システム。頭文字を繋げて読んで、キラはガンダムと言っていた。

「あーあ、こんなところまで来て何やってるんだろう」
「セイビ!」
「そうだね」

 耳をパタパタさせて喋るハロを両手で包む。白色のボディーとアイスブルーの目はイザークみたいだ。実際、アスランはイザークを意識したと教えてくれた。今では嘘みたいだけれど、ハロをもらった頃、わたしとイザークはうまくいっていなかった。それもそのはずで、わたしはもともとAAに乗っていたのだ。

 キラとは同じカレッジの友だちで、ヘリオポリスが崩壊したとき、AAに一緒に転がり込むことになった。それから、わたしは整備士の真似事を始めた。AAは地球連合軍の戦艦で、コーディネーターのわたしにとって居心地が悪いところだった。誰に何を言われたわけでもないのに、役に立たないと居場所がなくなる気がして落ち着かなかった。それはキラも同じだったらしい。わたしたちは、ふたりぼっちの孤独と声なき脅迫に震えていた。

「サビシイ?」

 ハロの音声がハンガーに響く。

「ううん、ハロがいてくれるから大丈夫」
「ミトメタクナイ! ミトメタクナイ!」
「え、認めてよ」

 噛み合わない会話に苦笑いがこぼれる。

「アスランには感謝しなくちゃいけないなあ」
「ナンデヤネン!」

 ラクスがザフトに引き渡される際、わたしも一緒にヴェサリウスへ移ることになった。なんと気絶させられて。AAに乗っていたとはいえ、わたしは民間のコーディネーターだった。それにキラは親友のアスランを信じていたんだと思う。わたしならプラントで保護してもらえるかもしれないって考えたんだろう。キラは不器用で優しかった。精一杯の思いやりによって、わたしはAAから逃がされたといっていい。

 でもキラの予想は外れる。クルーゼさんがわたしはキラをザフトに引き入れるカードになると判断し、艦に乗せたままにしたのだ。そうして、アスラン、ニコル、イザーク、ディアッカと関わることになった。

 アスランとニコルは比較的友好だったけれど、イザークとディアッカはそういうわけにいかなかった。特にイザーク。親の仇でも見るような目で見てきたり、足付きの女と呼んだりしてきた。ナチュラルの中でもコーディネーターの中でもわたしは疎外感を覚えた。キラはもう隣にいなくて、本当にひとりぼっちになってしまっていた。

 それを見かねて、アスランがハロをくれたのだ。イザークがすまない、本人に言えない愚痴や怒りはハロに言ってくれという言葉を添えて。申し訳なさそうにずれたことを口にするアスランがおかしくて、わたしは笑ってしまった。そしてこっそりと涙を流した。アスランもキラと一緒だった。どうしようもなく不器用で、優しかった。

「本当に何やってるんだろう。…………帰りたい」

 ハロと額を会わせて、ぽつりと呟く。タービンズのみんなはいい人たちだ。でもわたしは名瀬さんみたいに胸を張って家族だと言えない。右手の薬指にはめたプラチナリングに泣きそうになる。小さなアクアマリンの、どこまでも透き通った輝きが眩しい。わたしはこの指輪を外したくない。

「帰れば?」

 突然かけられた声に背筋が凍った。はっとして振り返った先に、三日月くんがいた。感情の読めない目がわたしを射抜く。

「タービンズに帰りたいならそうすればいいのに。なんで鉄華団にいるの?」
「テヤンデイ!」

 ハロが怒ったように三日月くんへ突っ込んでいった。ハロはロボットだけれど、こんなふうに感情があるみたいなときがある。わたしはとっさに手を伸ばした。

「ハロ!」
「アカンデ! アカンデ!」
「何、こいつ」

 三日月くんはハロをつかんでまじまじと見る。

「大事な友だちがくれた大事なプレゼント」
「ふうん」

 とんっと壁を蹴って、三日月くんがわたしのほうに飛んでくる。三日月くんはていねいな手付きでハロを渡してくれた。それが少し意外で目が丸くなる。イサリビに来て数週間だけれど、なんとなく三日月くんにはよく思われていない気がしていた。ううん、三日月くんだけじゃない。オルガくんとか、ユージンくんとか、たくさんの子どもたちの視線が痛い。どの世界でも人はよそ者に冷たいらしい。友だちがほしくて鉄華団に一時身を置くわけではないから、仕事さえ円滑にできればいいのだけれど。

 わたしの驚きが伝わったのか、三日月くんが首をかしげる。

「大事なものみたいだから手で渡したほうがいいかと思ったんけど」
「あ、うん。ありがとう」
「オオキニ!」

 わたしはハロを撫でた。ハロとこの指輪のおかげで、思い出が嘘じゃないって信じられる。ただの学生だったのに地球軍の戦艦に乗って、ザフトの戦艦に引き渡されて、大戦を経験して、整備士の真似事をしながら帰りを待つのは散々だって思い知って、アカデミーに入って、ミネルバのパイロットになって、また大戦の渦中でもがいて、違う世界へ来て、名瀬さんに拾われて、イサリビに乗って……回り回って、これからどこへ行くのかは分からない。でも愛された記憶があればまだ生きていける。淡く笑い、三日月くんと目を合わせる。

「わたしが帰りたいのはタービンズじゃないよ」

 プラチナリングがきらりと光った。

「それからもうひとつ。鉄華団に来たのは名瀬さんがきっかけだけれど、自分の意思で残ろうと思う。……『君たちはできるだけの力を持っているだろう? なら、できることをやれよ』って言われたことがあるの」

 わたしは無重力を泳いでバルバトスに触れた。PS装甲ともVPS装甲とも違う不思議な感触だ。ナノラミネートアーマーというらしい。この装甲のためMS戦は遠距離戦で決着がつきづらい。だから打撃武器が有効とされていてビーム兵器はまったく使われていない。この世界ではじめて戦ったとき、慣れない戦い方にすごく動揺した。愛機がイージスと似た可変MSであることに心の底から感謝するのは、後にも先にもあの日だけになると思う。わたしは巡航形態でひたすら逃げた。

「わたしには鉄華団でできるだけの力がある。だから、わたしのできることをやる。ここにいる理由はそれだけで充分……だと思うんだけれど、だめかな?」

 困ったように笑い、三日月くんに問いかける。三日月くんは火星ヤシをもぐもぐと食べながら考えるような素振りをする。

「俺がだめって言ったらその考えやめるの?」

 三日月くんが訊いた。

「……やめない。わたしの心はわたしだけのものだから。誰にも邪魔させない」

 わたしは応え、続ける。

「だてに赤を着ているわけじゃないんだぞってね」

 ぱちんとウィンクをして得意気に笑う。タービンズのロゴが入ったつなぎを着ていても、心は変わらず同じところにある。イザークは元気にしているだろうか。あまり怒っていないといいけれど。

 一粒の火星ヤシが三日月くんの手からふわりと離れた。でも三日月くんはそれを取ろうとしないでわたしをじっと見つめている。地球の海のような色をした目は、底知れない何かをはらんでいるみたいで少し怖い。レイもこんな感じだった。見た目よりもずっと大人びて見えた。それに厳しい態度だった。わたしがキラとアスランの友だちだったからかもしれないし、デュランダル議長以外はどうでもよかったからかもしれない。レイはデュランダル議長に信仰にも似た信頼を寄せていて、たまに気持ち悪くなるときすらあった。三日月くんもオルガくんに絶対の信頼を置いている気がする。その逆も然り。今はそれでよくても、これからもずっと同じっていうわけにはいかないよって思ってしまう。

「なんか、意外。あんたは弱っちいと思ってた」

 わたしと同じ目の高さになるよう三日月くんが無重力を蹴って、鉄華団のジャケットの裾がふわりと揺れる。三日月くんは背が低い。年長組だけれどタカキくんたち年少組と変わらないかそれ以下しかない。だからジャケットの大きさは三日月くんに合っていなくて、袖はいつも折り返されているし、着丈はお尻をすっぽり隠してしまえるくらい長い。

 名瀬さんは阿頼耶識システムの影響で発育が遅いんだろうって言っていた。阿頼耶識システムのピアスを見ていると、エクステンデッドを思い出す。シンがステラを地球連合軍へ送り届けるとき、わたしは力ずくで止めなかった。ひとこと、引き渡す相手がシンの思っている通りにしてくれるかは分からないよとしか言わなかった。どんどん衰弱していくステラと、AAからガモフに移りたての頃のわたしがかぶって見えたからだ。わたしはAAに帰りたくて仕方なかった。今考えると、へリオポリスとか家族のところとかに帰りたいって思うのが普通だ。やっぱり戦争でおかしくなっていたんだなと身をもって感じる。

 わたしは首を横に振った。

「弱いよ。MSに乗れば強くなれるって思っていたけれど、なんにも変わらなかった。わたしはただの十七歳だよ」
「え?」

 無表情な三日月くんから、驚いた声があがる。

「オルガとそんなに変わらないんだ」

 三日月くんはわたしの顔をじっと見て、いつの間にかわたしの頭の上で漂っていた一粒の火星ヤシに手を伸ばした。そして口に放り込む。火星ヤシっておいしいのかな。

「なんていうんだっけ?」
「何が?」
「名前」

 わたしは口を開いた。でも言葉が出るよりも先にハロが喋る。

「オマエモナ!」
「俺は三日月・オーガス」
! !」

 ハロが耳をパタパタとさせる。わたしは苦笑いをこぼした。

「そう、っていうの」
「そっか」

 三日月くんの口元にふっと笑みが浮かんだ。それは、わたしに、海が、厚い雲から顔を覗かせた月に照らされて、小さなガラスをたくさん散りばめたみたいにきらきらと光っているような印象を与えた。

 ……三日月くんが、笑った?

「いる?」
「あ、うん」

 手を差し出せば、両手いっぱいの火星ヤシがふよふよと浮かんだ。親指と人差し指で一粒つまんで食べてみる。甘くてねっとりしていて、おいしい。

「よろしく、
「こちらこそ、三日月」

 わたしはまだ帰れそうにない。

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