唯一を取り上げないでください

Written by Chisato. No reproduction or republication without written permission.

「あの、さんは今の政治についてどうお考えになっていますか」

 ビスケットの祖母である桜の農場でトウモロコシを収穫しながら、クーデリアは訊いた。とクーデリアは今日が初対面だ。三日月は脈絡のない質問に小さく眉を上げる。それに気付いて、はやんわりと言った。

「三日月、大丈夫だから」

 クーデリアをすっと見据えて、が口を開く。

「政治家は、目の前にあるみんなに共通の問題を解決することでお金を貰っているはずです。ということは、雇い主はわたしたちです。政治は素人には分からない、彼らのすることに従っていればいいのだと彼らは言います。でも、これはおかしなことです。彼らがわたしたちよりも頭がいいなら、わたしたちに分かるよう説明するべきです。本当に頭のいい人というのは、難しいことを易しく説明できる人のことです。彼らがわたしたちに分かるような政治をできないというのは、彼らの力量不足だと思います」

 クーデリアは目から鱗が落ちた気分だった。嬉しそうに頷いて、の言葉を繰り返している。

 三日月は二人を見比べ、不満を感じた。それは自分がとできない会話をしているクーデリアへの嫉妬だけが原因ではない。いつもこうだった。の大丈夫は社交辞令の大丈夫ではなく、本当の大丈夫だった。は三日月の助けがなくても、いろいろなことをやってみせた。だから三日月は文句を口に出せず、一層不快になった。三日月にはが必要なのに、は三日月なんていらないように思えた。

 と三日月は、三日月がオルガと知り合う一年前くらいに出会った。その頃はスラム街に住んでいて、山のようなゴミ捨て場でゴミを拾い、リサイクル業者に売る汚れ仕事をしていた。貧困が問題視される火星の中でも、特に貧しい人が従事するといわれている仕事は過酷だった。ゴミ拾いをする腕は、生々しいタコ、傷跡、しみ、かさぶたに覆われ、痛々しいものだった。それでもは耐えた。雀の涙ほどの日銭でも、稼がなければ生きていけないことを悟っていたのである。
 ある日、は普段よりも少しだけ多い金を握りしめてサンドウィッチを買いに行き、三日月を見付けた。小さな三日月は食料雑貨店の前に転がっていた。腹を空かせた子どもが倒れているのは珍しいことではない。店に入ろうとして、は三日月をちらりと見た。

 そのとき、一組の視線がかち合った。三日月は身体いっぱいに駆け巡る電流のような衝撃を感じた。帰る家を見付けたとさえ思った。

 三日月のギラギラとした目に捕まって、は足を止めた。心臓はばくばくと暴れていた。

「……なに?」

 は訊いた。三日月は何も喋らなかった。ふうーっと細く長く息をはき深呼吸をして、は店のドアを開けた。そして店員にサンドウィッチを頼もうとし、やめた。三日月の獣のように光る目を思い出して、店で一番安いパンを二個買った。

「あげる」

 は三日月に一個のパンを差し出した。少し首をもたげて、三日月は横たわったままパンに手を伸ばした。あまりにもゆっくりとした動きだった。はじれったくなり、三日月を抱き起こした。

「ほら」

 が三日月の口元にパンを持っていけば、三日月はもそもそと食べ始めた。衰弱しているのか口を開けづらいようで、は食べているうちに日が暮れそうだと思い、パンを一口大にちぎってやった。そうすると三日月はおもしろいくらいぱくぱくと食べた。親に餌を求める雛のように素直に口を開けて、もっとくれと目で訴えてきた。はかわいいなと思った。三日月はパンを一個平らげてもせがんだ。一瞬だけ迷って、は自分のパンの三分の一も三日月に食べさせた。

 それからというもの、三日月はの後ろを付いてきた。最初のうちは物乞いかと身構えたが、すぐ杞憂だと分かった。三日月はと同じようにゴミを拾いだしたのだ。家族ができたみたいで、は嬉しかった。

 しばらく一緒に過ごしていると、三日月がオルガを連れてきた。

「なあ、なんでこいつをたすけたんだ?」

 それは三日月が訊きたくても訊けないことだった。とオルガの顔を見比べて、両手を背中に隠した三日月は珍しくそわそわとしていた。

「たすけたとは思ってないよ。……でも、ひとりで生きるのはさびしかったから。だれか声をかけられる人がほしかった」

 は言った。三日月はきゅっと眉を寄せた。求めていた返事と違う。

「だれでもよかったの」
「分からない」

 三日月は悔しかった。いつもは無口なのに、堰を切ったように話し始めた。

、おれ、ひとをころしたよ」
「三日月」
「あげる」

 隠していた手を前に出して、三日月はの手にサンドウィッチを握らせた。

「これだけじゃないよ。みて」

 三日月は目を丸くするに構わずポケットから紙幣を出した。

「ゴミをひろうよりもひとをころしたほうがかせげるんだ。おれ、いっぱいころすよ。そうしたら、はもうけがしなくてすむし、いつもよりもいいパンがたべられる」
「三日月、大丈夫だから」

 顔を真っ青にして、は言った。

「うれしくない?」
「…………うん」
「なんで」

 は応えあぐねた。

「とにかく、いらない」

 サンドウィッチを三日月に返して、は駆けだした。三日月は小さくなっていく背中を呆然と見つめるしかなかった。喜んでくれるはずだと信じていた。しかし違った。それどころか、いらないとまで言われてしまった。に必要とされたかっただけなのに。

「なんだよ、きれいなだけじゃ生きていけねえだろ」

 オルガは口を尖らせていた。

 それ以来、と三日月はぎくしゃくとした関係が続いた。しかし、三日月はから離れなかった。人を何人殺しても、阿頼耶識の手術を受けても、必ずのところへ帰ってきた。は三日月の家だった。

 三日月はいい顔をしなかったが、は十五歳になってもゴミ拾いの労働を続けていた。そして、の人生が想像していない方向へ進んでいくことになる。割れた瓶で手を切って血を流すに、見知らぬ女性が声をかけたのだ。女性は有名なファッションデザイナーだった。ゴミの中で血を流すを家で手当てして、服をプレゼントした。は思いがけず親切にされ、気付けばふらふらと女性を訪ねていた。女性はにシャワーを浴びることを勧め、汚れを落としたに驚いた。

 は天使みたいにきれいだった。透き通るように美しくて、女性はしばらく口を利けなかった。が応接間のソファーに座っていると、まるで違う部屋みたいにゴージャスに見えた。じっと見ていると眩しくて、女性は目を細めた。心のもっとも深い部分に、けし粒ほどのダイヤモンドを投げ込まれたような気がした。の美しさは、そういう種類のものだった。穴はくねくねと複雑に折れ曲がっていてすごく奥にあるから、普通なら届きっこない。しかし、はそこにきちんと小さな光を放り込むことができた。

 の美しさに可能性を感じた女性は、モデル事務所に勤める友だちにを推薦した。の美貌は瞬く間に花開いた。

 不衛生なゴミ捨て場にスーパーモデルの原石である美少女が働いている光景は、ドラマチックに感じられるかもしれない。まるでシンデレラ・ストーリーだ。しかし現実は厳しく、スラム街の育ちで教育も充分に受けていなかったが、高貴にすら見える優雅な雰囲気や立ち居振る舞いを身につけるまで並々ならぬ努力があった。

 また、三日月はすごく反対した。がきれいになればなるほど、違う人になってしまうような気がして、不安を感じたのだ。そして何よりも、離ればなれになることを嫌がった。三日月の機嫌は日に日に悪くなり、民間警備会社CGSでめったにしない失敗すらしてしまった。腹を立てたマルバに殴られ、顔は鼻血で真っ赤に染まり、痣ができた。ボロボロの三日月を目の当たりにしたは鋭い表情をし、吐き捨てるように言った。

「マルバは野菜以下。アーティーチョークにだってハート――芯――はあるもの」

 それは心臓に釘を打ち込んで、えぐるような痛みを与える声色だった。

、怒ってる?」

 三日月は尋ねた。は怒鳴った。

「怒ってるよ!」

 そのとき、三日月はどうしようもなく嬉しかった。はじめて会ったときには考えられないほど、はきれいになっていた。この世の輝きという輝きを全部集めたようにきらきらと光るが、三日月たったひとりのために怒っていた。誇らしくてしかたがなかった。そこで三日月はようやく分かった。三日月にパンを食べさせた日から、の根っこのところは変わっていなかった。そして今も。はモデルとして活動しながら、見た目なんて不確かなものに頼ってはいけないと医者になる勉強をしている。

「キャー!」

 、クッキー、クラッカーの悲鳴が聞こえて、三日月はハッとした。声のほうへ駆け付けてみれば、黒色の高そうな車の前に三人が倒れている。頭が真っ白になって、三日月は身体中の血が沸き立つのを感じた。衝動のまま動いた。

 何をなくしたって生きていける。しかし、だけはどうしてもだめだ。

inserted by FC2 system