光の粒子による保存

Written by Chisato. No reproduction or republication without written permission.

 わたしの好きな人は、もうわたしを裏切ってさえくれない。

 ミネルバのデッキで、さざ波の音を聞きながらタブレットをスワイプしてふと思った。写真におさめられたみんなは生き生きとしていて、今にも声が聞こえてきそうだ。 昼寝をするラスティ、アスランに作ったロールキャベツ、ラスティの変顔、ニコルの誕生日――。

+ + +

 士官学校の食堂はしんとしていて、まるで夜の底みたいに深い。その中で、わたしとラスティはこそこそと動く。何かから隠れているわけでもないのに、息を潜めて黙々と作業をする。
 昨日大慌てで作ったペーパーガーランドはなかなかの出来だ。ピンク、オレンジ、紺、緑の逆三角形の紙と、黒の音符が連なっている。そんな傑作を壁の上のほうに貼ろうとしたのだけれど、どう考えたって身長が足りなくて、鼻からため息をついた。椅子をそっと持ち上げて音を立てないように扉の前に置くと、ラスティに肩を叩かれる。

「なに?」

 わたしは囁き声で尋ねる。

「俺がやるよ。は支えてて」
「ありがとう」

 ラスティは椅子に登り、ペーパーガーランドを貼り付ける。

「あとは?」
「ケーキとろうそく。それから主役」
「アスラン大丈夫かなあ。ラスティのほうが適任だったんじゃないの?」
「俺もそう思う。ま、どーにかなるっしょ」

 部屋が暗くてラスティの表情は見えない。でも、嫌味な感じをこれっぽっちも感じさせない顔で笑っているんだろう。そこがラスティのいいところで、わたしがすごいなあと感心せざるを得ないところだ。ラスティは人付き合いがうまい。ばかみたいにへらへら笑いながら近付いて、相手の警戒が解けた途端、懐に潜り込む。

 わたしも潜り込まれたうちのひとりで、数少ない女性パイロット希望者としてピリピリしていたときに声をかけられた。その日ラスティは授業中寝ていたらしく、ノートを見せてほしいと言ってきたのだ。わたしは寝ていた人に、自分が頑張って書いたノートを見せたくなかったけれど、気が付けば渡していた。ラスティは、女の子のほうが字がきれいで見易そうだからとかなんとか話していた気がする。ただ一つはっきりと覚えているのは、の公開レポートが一番分かりやすかったからだという言葉だ。教官に誉められるよりもずっと嬉しかった。同期の男の子に認められたのだということが、張りつめていた緊張の糸を一気に緩めた。それからクラスでの呼吸がぐっとしやすくなり、いろんな人と話せるようになった。

 冷蔵庫からケーキを出してろうそくを刺す。それからラスティと横並びに腰かけ、アスランともう一人の到着を待つ。

「ラスティ、なんで飾り付け係にしたの?」
「そういう気分だったから」
「なにそれ、どういう気分?」
「さーね。ほら」

 わたしはクラッカーを渡された。そろそろ二人が来てもおかしくない頃だ。そして予想は当たり、息を殺すような足音が聞こえてくる。ラスティと顔を見合わせて、ろうそくに明かりを灯した。クラッカーを持って入り口に向ける。心臓がどきどきした。たとえるなら、映画館でコマーシャルが終わってふっと暗くなる瞬間のあの感じだ。今のわたしには込み上げてくる期待と興奮がある。

「アスランが忘れ物なんて珍しいですね」

 ニコルの声が聞こえた。

「そんなに大事なメモリースティックだったんですか?」
「あ、ああ、いろいろ入れてたんだ」
「へえ。でもこんな時間に取りに来なくたって――」

 わたしとラスティはクラッカーを鳴らす。まるで夜の静寂を裂くように盛大に。

「ニコル!」
「お誕生日!」
「おめでとう!」

 そしてぱちんと電気を漬けた。ペーパーガーランド、一本の長いろうそくと四本の短いろうそくが立ったケーキ、紙で作った色とりどりの輪が白い光に照らされる。そしてニコルが目を丸くしいるのがよく分かった。

「えっと、これは……」

 ラスティはニヤッと笑う。

「ニコルのサプライズ誕生会!」

 わたしもアスランも口を開く。

「十四歳のお誕生日おめでとう。これからもよろしくね!」
「ニコル、おめでとう」

 ニコルは目をぱちぱちしたあと、照れくさそうに笑った。

「ありがとうございます」
「うん、ほら、座って」

 わたしは椅子を手で指し、ニコルを座らせる。そして三角帽をかぶせた。これはラスティが作ったものだ。画用紙でできていて、ニコルの似顔絵が描いてある。ラスティの絵の腕は可も不可もなくで、男の子の絵というふうだ。コーディネイターといえど、わたしたちは万能じゃない。

 ラスティがろうそくに火を灯し、アスランに目配せをする。アスランは電気を消した。暗闇にぼうっと浮かび上がる火が、テーブルを囲むわたしとラスティとニコルを照らす。アスランもそこに加わり、あたたかい橙色に染まった。わたしは片手に収まるほどの小型タブレットを取り出した。それを三人に向け、動画モードにして録画を始める。そして歌い出す。

   ハッピバースデートゥーユー
   ハッピバースデートゥーユー

 ラスティとアスランも息を吸う気配がして、声が重なる。

   ハッピバースデーディアニコルー
   ハッピバースデートゥーユー

「おめでとう! はい、ふーってして」
「ええ?」

 ニコルは恥ずかしそうにしながらろうそくと向き合った。十三の火が一気に吹き消される。最後の火はなかなか消えなくて、三回チャレンジすることになった。部屋が再び暗くなって、わたしは録画を終わらせ、小さく拍手をする。ラスティが電気を点けに立った。明るくなった部屋でニコルはにこにこしている。喜んでもらえたみたいだ。

「あっ、夜にこんなに騒いで大丈夫なんですか?」

 ニコルがはっとした様子でアスランに訊く。

「そこはなんとかうまくやった」

 こちらをちらりと見て、アスランは応えた。わたしはわたしの隣に座ったラスティと肩を組んでにんまりと笑う。そこでニコルは察したようだ。はじめこそ教室の隅でおとなしくしていたわたしだけれど、ラスティと仲良くなってからはいろいろやってみている。

「アスランに教官に頼ませたんだよ。そしたら一発オーケー。さすがだな」
「そっ。アスランさまさま」

 わたしたちはハイタッチをした。アスランは額に手を当てている。

「苦労したんだぞ……」
「台本は書いてやったじゃん」
「箇条書きだったじゃないか」
「テンパっちゃったらおじゃんっしょ。だから要点だけまとめたんだよ」
「ああ、そう」

 アスランは諦めたようだった。ラスティに抗議してものらりくらりとかわされてしまうのは、いつものことだ。

「さっ、写真撮るよー」

 わたしは声をかけ、タブレットのインカメラを起動させる。小さな画面の左から、アスラン、ニコル、わたし、ラスティの順で並び、真ん中にケーキを移動させる。

「アスラン、もうちょっとニコルに寄って」
「こうか?」
「そうそう。はい、『√2×√――」

 続きはすぐ言えなかった。視線をカメラに、意識をシャッターボタンに固定していたわたしの右頬に、あたたかい何かが触れて、なんだろうと思ったらラスティの顔が近くにあって、あっと思ったら、そのときにはするりとタブレットが手から落ちていたのだ。アスランとニコルはカメラしか見ていなかったのか、何事もなかったかのように、乾いた音を立てて床を跳ねたタブレットを拾ってくれた。

 かおが、あつい。

「なにやってんの、
「なにやってんのって、なにやってんの」
「なに言ってんの?」

 ラスティはにやにと笑っている。いやだ。最低だ。なんなのラスティ。ラスティは最低だ。こんなふうに付き合ってもいない友だちにキスするような人だなんて思ってもみなかった。裏切られた気分だ。

「……べつに。撮るよ」

 今日はニコルの誕生日。ラスティなんてどうでもいい。そう言い聞かせて頭からさっきの感覚を追い出そうとするのだけれどうまくいかない。ラスティの唇はカサカサしてなかったし、柔らかかった。それに、ああ、もう、どうでもいい。

「『√2×√2』は?」
「にー」

 カシャッ。画面の三人はきれいに笑っているのに、わたし一人がぶさいくな顔をしている。かわいくない。最低な男にキスをされたのに、ほんのちょっと嬉しいと感じてしまったわたしはもっと最低な女だ。ひどい。

 長方形に切り取られた三月一日の深夜は、悔しいくらいオレンジ色だった。

+ + +

 わたしはまたスワイプする。 試験結果の貼り出しを前に歯を食いしばるイザーク、ディアッカの日本舞踊、機械いじりをするアスラン、ラスティがくれたおいしいラスク、不機嫌な顔のイザークと楽しそうなディアッカのツーショット、付箋に書かれたサンキューの文字――。

 ラスティは授業でしょっちゅう寝ていた。それなのに成績がわたしよりもいいから腹立たしく思ったときもあった。ラスティはわたしのノートがいいからだなんて言ったけれど、要領のいいラスティならノートなんて見なくても試験で好成績をおさめられたと思う。写真の付箋はいつも通りノートを貸したある日、貼られていたものだ。なんだか嬉しくて、捨ててしまうのが惜しかった。

 思い出に浸るわたしに影が落ちる。

「シン」
「冷えますよ」
「うん」
「隊長が探してました」
「そっか。でも今は会いたくないなあ」

 シンは珍しそうな顔をした。わたしとアスランはよく一緒にいる。アスランは最初からミネルバに配置されていたわたしと違って、特殊な経緯があるからなかなか風当たりが強い。そしてそれを避けるようにわたしのところへやって来る。わたしはわたしでアスランとの再会を喜んでいるから拒むことはなく、わたしたちはもはやセットとして扱われている。

「シン、今年で何歳だっけ?」
「十六です」
「……そう。変なこと言うけど聞き流してね。誰かに話したいだけだから」

 わたしは言い、続ける。

「写真ってこのタブレットの小さな光の粒で保存できちゃうじゃん。音声だって録音できるし、亡くなった人すら保存できる。いつもこういうことを考えてるわけじゃないよ。でも、アルバムを見ていたらふと思いついたんだ」

 デッキが夕日でオレンジ色に染まっている。

「もしかしたら、生きている人ができることって裏切ることだけなのかもしれないね」

inserted by FC2 system