偶像崇拝

Written by Chisato. No reproduction or republication without written permission.

 対峙する二組の視線。
 一分の隙も許さないと鋭く睨み付ける山姥切国広と、余裕のある表情をしている鶴丸国永。
 不敵な笑みを明るく浮かべる今剣の前には、激しさを秘めた微笑みを穏やかにたたえている宗三左文字の姿。
 道場の空気は端から端までぴんとり詰めていて、誰かが少しでも動けばあっという間に崩れてしまいそうな、完成された均衡の上に成り立っている。そして、雨だれのうるささを忘れてしまいそうなほど静かだ。大和守安定が顕現したときから、雨が止まない。それどころか激しさを増して、警鐘を棒で狂ったように打ち鳴らすみたいに、本丸を横殴りに叩き続けている。もしかすると、ノアの方舟の大洪水もこういうふうだったのかもしれないと錯覚してしまうほど、不吉な降り方だった。本丸は生ぬるい湿り気を含み、暗い出来事がひたひたと近づく気配が感じられる。

「ふふふ、きょうはあなたがあそびあいてですね!」

 今剣が静寂を切り裂いた。嬉々とした表情で駆け、小柄な体型を活かして宗三左文字の懐へ飛び込んでいく。
 宗三左文字は後ろへ数歩下がり、攻撃をひらりとかわした。虫も殺さないような顔が畏怖を感じさせるものへと一変し、オッドアイが今剣を見据える。
 隣の二人をちらりと見て、鶴丸国永がおもしろそうに口角を上げる。それに他意はなかったが、山姥切国広は少し眉を寄せる。まるで彼では役者不足と思われているように感じた。

「俺なんかが相手で悪かったな」

 彼は勢いよく斬り込む。
 鶴丸国永は山姥切国広の攻撃を受け流し、背後に回り込む。してやったりといわんばかりに目を細め、胴に狙いを定めた。
 足音や打ち合う音の激しさに比例して、熱気が膨らんでいく。
 宗三左文字が倒れた今剣の喉元に木刀の切っ先を突きつけた。
 壁へ追い詰めた山姥切国広の首筋、肌に触れるか触れないかのところで、刃にあたる部分が鶴丸国永によってピタリととまる。
 そこで二組の手合わせは終わった。
 山姥切国広は奥歯を噛みしめ、額の汗を拭う。暑い。
(……脱ぐか)
 一瞬迷って、薄汚れた布に手をかける。フードから頭を出し、左胸よりも上のあたりにある細い紐をほどいた。それを見た鶴丸国永がにやにやと笑う。それを見て、山姥切国広はむっつりと黙り、道場を出ていこうとする。

「やまんばきり、どこへいくんですか?」
「主のところだ」
「ぼくもいきます」

 山姥切国広を先頭にして、今剣、宗三左文字、鶴丸国永が歩く。四人が厨を覗くと、と大和守安定がいた。

「さっき鍛刀した新しい仲間、誰かなあ。知ってる刀だといいな」
「そうね」

 大和守安定に相づちを打つの笑顔はぎこちない。それは、大和守安定とほかの刀剣男士に決定的な違いがあるからだった。彼には、沖田総司の存在が亡霊のように付きまとっている。何に対しても沖田総司が基準として息づいている。また、いつもきらきらとした目でかつての主人について延々と語る。彼は今剣のようにをあるじさまと呼ばず、宗三左文字や鶴丸国永のようにが主人だと明言しない。はっきりと口にしないのは山姥切国広も同じだが、を認めていることを行動が示している。沖田総司への彼の執着は、など視界に入っていない、認めていないと思わせるものだった。そこに悪意はない。だからこそ質が悪い。純粋な憧憬は、責められる謂れをもたなない。

「わっ!」

 鶴丸国永がと大和守安定に背後から忍び寄り、大きな声を出した。

「うわっ!」
「わーっ!」

 と大和守安定が飛び上がる。
 鶴丸国永はからからと笑い、山姥切国広、今剣、宗三左文字は呆れた顔をした。
 目をつり上げながらも安心したような顔をして、は振り返る。そして、山姥切国広を見て固まった。

「暑いからだぞ!」

 山姥切国広は言い、腕にかかえた布をぎゅっとした。
 顔をくしゃりとさせて、は満面の笑みを浮かべる。

「うん。やっぱりきれいね。暑くなくてもそうしていればいいのにって思うわ」
「俺は」

 写し。山姥切国広はその言葉を口に出さず、飲み込んだ。写しだと言えば、がまた怒ることは想像に難くない。が怒るのは、彼にとって面倒に感じることではない。むしろ嬉しい反応だ。が自分を思って怒る姿を見ていると、胸の重りがすっと軽くなるのだ。たとえ多くの人に写しだと馬鹿にされても、腹を立ててくれる存在が一人いるだけで充分だと思えてくる。自分の存在価値は、たった一人のためにあるような気すらしてくる。ところが、怒らせてしまうのは本意でない。

「なんでもない」

 はつり上げかけた目をゆるゆると見開き、弓なりに緩める。口角が自然と上がって、胸の辺りから、いつの間にか冷えていた指先まで、ぬくもりが広がっていく。ひだまりを溶かした血液が全身を巡っている感覚を覚える。
 山姥切国広が、そわそわと落ち着きのない様子で、のかぶっているシーツを目で指す。

「それ、もういいんじゃないか。あんたは、あんたが思っている以上に俺を見てくれている。俺はそれを分かっている。俺の思い上がりでなければ、だが」

 は息を飲んだ。

「いいねえ。そんなことを言って、俺も驚かせてみたいものだぜ」

 口笛を吹いて、鶴丸国永が山姥切国広の肩を抱いた。そして、茶化すような表情を浮かべる。

「やめろっ。気持ちの悪い笑い顔で見るな」
「ひどいな。俺は顕現してからずっとこういう顔だぜ。俺が気持ちの悪い顔だとすれば、主に、せんす……とやらがなかったんだな」

 山姥切国広が肩をぷるぷると震わせる。はにこにこと笑いながらシーツを脱いだ。大和守安定はぽかんとした顔で一部始終を見ていたが、おもむろに口を開く。

「審神者さん。万屋には近侍の僕と誰を連れていくの?」
「ああ、そうだった」

 手を叩いて、は言った。食料がかなり減ってきたため、買い物に行こうと思っていたのだった。

「はい! ぼくをつれていってください! まもりがたなのぼくが、あるじさまと、どうちゅうのあんぜんを、おまもりします!」
「よし、本丸は俺たちに任せろ」

 鶴丸国永が言った。

「勝手に決めるな」
「こりゃあ失礼。嫌だったか?」
「そうじゃない」

 は愉快な気持ちで口を開く。

「ありがとう。それでは、山姥切国広、宗三左文字、鶴丸国永。わたしが留守の間、本丸を頼みます」
「ああ」
「任せておけ」
「分かりました」

 は万屋へ行く準備のため自室へ向かう。大和守安定が顕現してから、はバルコニーと繋がっている部屋をひとりで使っている。自室はがらんとしていて生活感がなく、無造作に置かれた、収納スツールのように大きな黒いスーツケースが異質さを放っていた。はそれから白色のシャツと黒色のパンツを取り出す。さっと袖を通すと、ロングカーディガンを羽織った。ロングカーディガンは全体が淡い水色で、裾が白色の山形模様になっている。はタブレットとエコバッグをピンクベージュのトートバッグへ入れた。そして厨へ戻る。
 厨で待っていた大和守安定が目を輝かせた。

「審神者さん、新撰組みたいだ! ほら、僕の羽織と似てる。沖田くんと一緒だよ」

 の心臓が嫌な音を立てる。今すぐ着替えたい気持ちを抑えて、は笑顔を作った。三人が入るには小さすぎる折り畳み傘をさし、井戸へ歩く。井戸に着くと、タブレットが雨で濡れないよう、トートバッグの中で開門の操作をした。井戸のパネルに、いやはやご苦労さん、一、八、八、八、五、九、六、三と打ち込む。ピーッと機械音がしてゲートが開く。まず今剣が井戸の縁に立ち、銀髪をゆらめかせながら落ちていった。そのあと、大和守安定が同じように飛び込んでいく。も続こうとし、ふと後ろを見た。走ってくる山姥切国広が目に映る。湖水のような彼の双眼はゆらゆらと揺れていて、必死だ。
 は、はっとした。無防備な身体が暗闇へ落ちていく。後悔の念と恐怖が喉元へせり上がる。トートバッグをぎゅっと抱きしめても、気休めにすらならない。暴力的な光がまぶたの裏を刺激する。は、ひとりぼっちで、黒い嵐のような負荷に呑み込まれた。

* * *

 血の気の引いた顔へ手を当てて、木陰で休んでいるは目を強くつむる。そうしなければ、涙がこぼれてしまいそうだった。
(弱さを見せてはいけない。強くなければ、主人はおろか、審神者にもなりきれない。大丈夫。最初に飛んだときよりも、気持ち悪くない。大丈夫。大丈夫)
 きっと前を向いて、はふらつきそうになる足に鞭を打ち立ち上がる。

「ごめんなさい。もう平気。買い物をしましょう。安定は、食べてみたいものって何かあるかしら」
「たくあんが食べたい! 沖田くんが土方さんとよく食べてたんだ」

 普段でさえ受け入れ難い言葉が、負荷のダメージで不安定なに襲いかかった。
(また沖田くん)
 は作った笑顔が引きつりそうになる。冷や汗が額に浮かび上がった。今剣がの右手を握る。は彼の両手の冷たさに、彼も大和守安定と同じように刀であり、元主人がいることを思い出す。

「義経公は、何が好きだったの?」
「……よしつねこうじゃなくて、あるじさまといっしょにたべるんだから、ぼくは、あるじさまのすきなものがいいです」

 は言葉に詰まり、立ちすくむ。好きな食べ物は正規時間でしか食べられないもので、遥か遠い時代が無性に恋しくなった。
(記憶がなければ)
 小さな虫のような黒色のしみが、の心をじわじわと侵食する。空を仰いで、は懇願するように目を閉じた。

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