くらくらするような陽射しが快速列車のドアを開ける。めいっぱいの陽光が車内に射し込んだ。まっくらな部屋に突然電気が点いたように全身を明るく染め上げられる。私は広い光のなかに足を踏み出すようにしてホームへと降り立った。嘘のように降り注ぐ太陽はかえって白々しく感じられる。振り切るように足を速めて人の流れに沿って進んで改札を抜ければ、同じ制服たちが揃って同じ方向を目指す波が出来ていた。
その中で左右で赤と白に分かれている頭は一際目立っている。私は水平線との距離を測るようにそれを眺めて歩く。この頃焦凍はどんどん確実に遠くなっていく。見えているのに触れられない。きっといつか手が届かなくなるだろう。
「おはよう」
言われてはっとする。
「おはよう」
「冷戦はまだ続いているんだ?」
物間は愉快そうに笑みを浮かべながら首をかしげた。私と焦凍が学校生活を別々にし始めてからこんな調子が続いている。
「冷戦じゃないよ」
「へえ? それじゃあなんだよ」
伏し目がちに答える。
「……門出」
「門出ぇ? 目出度い髪の色だけどぜんっぜん! これっぽっちも祝福の気配が無いね!」
はあ、と溜め息を吐いて物間は前方を睨む。そのまま髪をかき上げた。一つひとつの動作が不思議とさまになっている。
「ヒーロー科一年A組。ほとほと呆れるよ。ヒーローはなにも派手な立ち回りでヴィランを制圧したり、事件事故災害から人を助けたりするだけのものじゃない。ほんの些細な思いやりがあればいいんだぜ。それなのに身近な存在一人にすら心が砕けないでいて、そんな人間が誰かを、大勢を救えるとでも?」
ふつふつと怒っている。
「大丈夫だよ。焦凍はすぐに追いつけないくらいの速さで向き合えるようになる」
何にとは言わない。目的語が大きすぎる。
焦凍がどうしたってすぐには自分の個性を好きになれなくてもよかった。炎を受け入れられない理由は見てきた。まだその時ではないだけで左半身を自分だと思う日は来る。今日はその延長線で焦凍はなりたいものを思い出す。
「轟君の事情はどうだっていい。本題はさ」
物間はぴしゃりと言い切った。A組に対する対抗心を日増しに強くしてきた物間だけれど、A組に関係ないところでは常識的だ。作戦立案、指揮が得意で仲間思い。その仲間の法則はもれなく雄英高校一年B組二十一番の私にも適用されて、当たり前に席をくれた。
「私も大丈夫」
物間に笑って赤と白を見据える。
私はいつもそばに居るだけだった。焦凍がしてほしいことも焦凍を突き動かす言葉も知っているのに、正解を与えてあげることをしてこなかった。それは私の役割ではないからというよりも、本当の意味でなんにも出来ない現実を知らしめられることが怖くてたまらないからだった。カンニングまがいのことをしておきながら、もし焦凍が変わらなかったら? それどころか足を引っ張ってしまったら。恐れてしまう私は弱いだけで役立たずだ。
ふと追い風が吹く。まるで背中を押すようにさやかで、水平線まで続く人の波をコミックのオノマトペで一掃したくなる。ああ。
「急に顔付きが変わるじゃないか」
「そうかな」
「うん。心の奥が燃えているっていう顔になった。本当に大丈夫なときの顔だ」
物間は繰り返しうなずく。私は口を開いて、個性のないただ大きな声をまっすぐに飛ばす。
「焦凍お!」
立ち止まって半身振り返る焦凍に向かって大きく右足を出す。その次は左足を出した。地面を蹴る。走り方を思い出す。校門の手前で回原と円場を追い抜いた。焦凍に追い付く。
「どうした」
焦凍の声は静かだった。
はじめて焦凍に触れた日この身に移した小さな熱が、私の中で馬鹿げた炎熱にまで育っている。焦凍がヒーローになる夢ともう一度出会うために、私は私にしか出来ない方法でその左側が美しいと証明したかった。せり上がる言葉が喉を焼く。
「今日左を貸して」
焦凍は目を見張って信じられないものを見るような目で唇を震わせる。
「なんで」
裏切られたような顔が痛々しかった。
「おれは、嫌だ。がクソ親父の力を使うところなんて見たくない」
「焦凍はエンデヴァーじゃないし、私はエンデヴァーから個性を切り取るんじゃ」
ないし……と言って続けようとした言葉が遮られる。
「当たり前だ! 俺はあんな奴とは違う!」
凍てつくような瞳の奥に憎悪が燃えている。地獄の底で轟々と煮えたぎる激情を剥き出しにして私を睨み付ける。
「そうだよ。だから私がエンデヴァーの力を使うことはない。焦凍から焦凍の個性を切り取って焦凍の力を使うの」
むかし、まだ火傷のない男の子とヒーローごっこをして遊んだ。ヒーローショートはいつも半分個性を貸してくれた。
私の個性は切り取り。触れた者の個性を触れてから使いたい放題で、コピーと違うところは、触れられた者が自分の個性を使えなくなるところと五分間のタイムリミットがないところだ。
思い出の中と同じように指を空に向けて手のひらを前に出す。焦凍はそれに手を重ねない。左手はスラックスのポケットに入ったままだ。
「もしかして怖いんじゃない?」
物間の声が耳元で明瞭に響いた。わざと焦凍に聞こえるように話し掛けている。回原と円場も居るから三人で追いかけてきたんだろう。
「轟君の個性は半冷半熱だよねぇ。に炎熱を切り取られたら氷結しか使えない。氷結対炎熱になれば氷結の分が悪い。自分の個性を自分以上にうまく使いこなされるかもしれないどころか、自分の個性に負ける恐れがあるわけだ」
焦凍が眉間に皺を寄せる。視線が物間に移る。その一瞬の隙をついて私は火傷の跡に手を伸ばした。焦凍は舌打ちをして身を引いたけれど指先がかする。左半身の体温が上がった。たとえヒーローらしくない方法でも、もっと一秒でも早くその痛みもその辛さも切り取ってあげたかった。それがせめてもの餞になればいい。
「……クソッ」
吐き捨てるように言って焦凍は背を向けた。
彼方のヒーローに成るための単純な言葉は届かない。