masquerade tickets

Written by Chisato. No reproduction or republication without written permission.

『僕、轟燈矢はエンデヴァー家の長男として生まれました』
 の目の前が真っ白く塗り潰された。
『今まで三十人以上の罪なき人々を殺しました。僕が何故このような醜穢な所業に至ったか皆に知ってもらいたい』
 彼はモニターを通して言った。続ける。まずはエンデヴァーがかつて力に焦がれていたこと。次により強い個性を持った子どもを作るために無理矢理妻を娶ったこと。そして、オールマイトを超えられない絶望から燈矢が父親の利己的な夢のために作られたこと。
『しかし、どうやら僕は失敗作だったようで、程なくてして見限られ、捨てられ忘れられました。人を焼いた炎はエンデヴァーの炎で』
「違う」
 は呟いた。声は震えていた。
「燈矢くんの炎だよ」
 あの公園で再会した日から、荼毘が弱くなった火を取り戻していく姿を見ていた。それは燈矢が父親に認められたくて火力を上げようとする姿と悲しいほどよく似ていた。実際同じだった。は燈矢に火傷の身代わりを申し出たように荼毘にもそうした。青い炎はだんだん強く大きく膨らんでいった。そのたびに一緒になって喜んだ。いつか蒼炎が人を焼く未来は知らなくて、ありのまま無邪気に笑ってしまった。
 彼の傷を共有して彼を生かした。その荼毘が人を殺した。
 薄く残っている火傷のあとがひりひりと痛む。これは全身に刻まれた知らず知らずのうちに犯した罪と咎の証明だ。ずっとそばに居てずっと助けられなかった。燃えているのだ。燈矢もも。
 彼の告白は止まらない。
 …………………………。
『僕は許せなかった!』
 スピーカーが叫んだ。
『後ろ暗い人間性に正義という名の蓋をして! あまつさえヒーローを名乗り! 人々を欺き続けている! よく考えてほしい! 彼らが守っているのは自分だ! 皆さんは醜い人間の保身と自己肯定の道具にされているだけだ!』
「ドメスティックな告発をこうも拡大するか……」
「ジーニスト」
 は見上げる。
「荼毘め……。待っていたんだな……。ヒーローの信頼が揺らぐ時、甚大な被害を食い止められなかったこの時を」
「彼は私が助けます」
 ベストジーニストはを一瞥する。
「ヒーローとしてか」
 はきっぱりと首を振る。
としてです。燈矢くんはきっとヒーローを求めていません。私のことも求めていないかもしれませんが」
 言いあぐねた。
「私の意思です。いけませんか?」
 下まつ毛の長いつり目が弓なりを描く。
「いいや。それがヒーローの本質だ。今一度問おう。君はどんなヒーローを願う?」
「隠れて泣いている人、を救えるヒーローです」
「良い答えだ。さあ、行こう」
 に手が差し伸べられた。
 サイドキックが呼び掛ける。
「ジーニスト! 投下開始します!」
「思い通りには絶対にさせん」
 何度も何度も繰り返してきたフレーズが風に舞い上がる。
「シュア! ベストジーニスト!」
 二人とワイヤーは戦闘機から躍り出た。急降下する。ミニチュア模型のような町が次第に大きくなって迫る。戦場が鮮明に見えてきた。ファイバーマスターがワイヤー、もとい繊維を自在に操作した。はサポートアイテムのフックをワイヤーに引っ掛ける。ジップラインの要領でほとんど垂直に最速で滑り落ちていった。勢いを利用してワイヤーから離れ、空中で一回転したところでワイヤーがそれぞれ荼毘、スピナー、ミスターコンプレス、ギガントマキアを縛り上げる。焦凍と相対していた荼毘の炎が消えた。
 ――空からワイヤー!?
「遅れてすまない! ベストジーニスト、今日より活動復帰する!」
 荼毘は口を開く。
「てめェ……! 死んでたハズだ。本物の死体だった」
「欲を掻くから綻ぶのだ。粗製デニムのようにな!」
 会話を聞きながらは全速力でワイヤーの上を走る。
 荼毘が歯軋りをする。
「てめえが生きてたとして……」
 荼毘の身体がジリジリと音を立てて青く揺らめいた。焦凍が赤い炎熱を纏って荼毘に突っ込む。
「うちの事実が消えるわけじゃねえだろ。なァ!? 焦凍!」
 青と赤の間にが割って入った。赤い炎に背中を焼かれる。悲鳴を飲み込む。顔を歪ませて青い双眼を見つめた。
「燈矢くん」
ちゃん」
 彼はくつくつと笑う。
「待ってたよ。そうだよ! 燈矢だ!」
 は正面から彼と額を合わせる。本当はもっと前から分かっていたのだ。気付かなかったのではない。わざと確かめてこなかった。
 髪の色、目の色、年齢、個性、エンデヴァーの映像を食い入るように見つめる目、魚が嫌いなところ……手がかりはいくらでもあったが、いつからか荼毘が身体を焦がしてやって来ることが当たり前になっていった。それは良くない何かをしているしるしで、は怖くて目を瞑った。知ってしまったら一緒には居られなくなる予感があった。
 離れ難かった。
 どうして。もしも。違う。生きていてくれて嬉しい。伝われと祈る。まぶたを下ろす。自然に個性が発動する。火傷の身代わりになる。
 彼は目を細める。
「やっぱり優しいなァ」
 言い、続ける。
「ずっと、気付け、気付けって思ってたンだ。でもいいよ。ちゃんは薄情な本物の家族なんかと違ってさ、燈矢と荼毘を重ねて見てた。顔が変わっても声が変わっても!」
 愉悦をたたえる口元から歯が覗く。囁く。 
「今までありがとう」
 は少しの赤い炎で突き飛ばされた。青い地獄の炎が吹き出た先はネジレちゃんだ。波動ねじれはの同級生だった。三年間同じ教室にいた。記憶のコマフィルムが明滅しながら駆け巡る。
「おいていかないで」
 こぼれた本心は世間にとって場違いの残酷で純粋な懇願だった。
「ああ! 波動先輩!」
 焦凍が叫んだ。
「ははは! 大変だ。エンデヴァー! まただ! また焼けちまった! 未来ある若者が!」
 蒼炎が巻き上がる。彼を拘束していたワイヤーが焼け落ちていく。は宙返りをして体勢を立て直した。
「お前の炎で!」
 笑い声が響き渡る。
「やめろォ!」
 青空の中、青と赤の炎が爆ぜる。は唇を強く引き結ぶ。身代わりの個性では空中戦が出来ない。後ろ髪を引かれる気持ちで背を向けた。サポートアイテムを使ってベストジーニストの元に戻る。
「……援護、します」
 ワイヤーの操作に集中しているベストジーニストは無言で応えた。
 は手首に触れる。ヒーローの生け贄になる。なくなった肺の負担を引き取った。痛い。血液が喉元までせり上がる。口内に鉄の味が広がった。あふれる。吐き出してしまう。気持ちが悪い。咳き込む。朦朧とする視界の端で蒼炎が輝いた。
 荼毘はナンバースリーヒーローと並んで立つをちらと見やる。
「どいつもこいつも身勝手だよな。そういう個性だからってレールを敷いて押し付けてヒーローねェ。笑わせるぜ」
 吐き捨てるように言った。それから口角を吊り上げる。薄気味悪くて、小さな子どもが大事に隠してしまっておいた宝物を見せびらかそうとする時のような笑い方だ。
 焦凍は胸騒ぎがした。そういうひどく嫌な予感ほどよく当たる。
ちゃんもまだ背負わされて可哀想だなァ。知ってるか? もう全身火傷のあとでいーっぱいなんだぜ」
 青とグレイのオッドアイが見開かれる。
「まさか」
 声が震えた。
「あれはぜーんぶ俺が付けた。ほかの奴の身代わりになった時は上から焼いた! また焼かなくちゃ! 俺の! 可愛いかわいいちゃん!」
 怪我は彼がに会いに行く理由になった。いつからかその理由がの身体に刻まれるたび胸が高鳴った。消えない傷は存在証明になって、膨れ上がった承認欲求がに依存した。
「ヴィランをけしかけたって言ったよな……!? 夏兄も死ぬとこだった! 泣いて縋ってたんだろ! 夏兄に!」
「それならそれでエンデヴァーが苦しむ」
「イカれてんのか、てめェ!」
「そうだよ、焦凍。兄ちゃん、何も感じなくなっちまったあ」
 蒼炎が揺らめく。
 その時、の目から一筋の血が流れた。まばたきをすると涙腺の目のきわの血がまぶたに付いて眼球が赤く染まった。しみる。充血する。苦しい。悔しい。
 ヒーローになったって本当になりたいものにはなれなかった。は燈矢の理想に近付きたかった。燈矢のヒーローになろうとした。最初から今この瞬間ですらただそれだけだったのに。


 習慣でつけられたリビングのテレビがただ光っている。アナウンサーによってありふれた事件とありふれたヒーローについてオートマチックに読み上げられ続ける。最新の情報が次々に更新される。
「上手く出来ないかもしれないよ」
「手先は器用だろ」
 フローリングに広げた新聞紙の上で真っ白な頭が言った。
 華奢な指が髪を繰り返し梳く。細くて柔らかい。誰にも足を踏み入れられていない一面の雪道のような眩しさをすくって結び四分割する。
「やっぱり」
 躊躇する背後を銀世界が振り返った。見上げる目には呆れの色が浮かんでいる。
「やンの」
『赫灼熱拳』
 視線が音声の方向に引き寄せられた。自発光方式のディスプレイが真っ赤に染まっている。ヘルフレイムが煌めいて網膜に焼き付く。ジェットバーン。ヘルカーティン。ヘルスパイダー。プロミネンスバーン。
 …………………………。
 青は、じ、と睨むように見つめた。その奥は轟々と燃えている。
「絶対元に戻す」
 炎を宿した目は青紫に変色した皮膚に視線を移す。
「約束するよ」
 半分死体のような存在になってから、約束なんて誰ともするつもりはなかった。約束は未来のある二人が前提だ。この身体に未来はない。執念と慈悲でかろうじて成り立っている。それでも、たった一つ、守るというよりも果たすという言葉が似合う縛りは作っても良いと思った。
「忘れないで」
 華奢な手がビニール手袋をはめた。カラー剤と付属のはけを手に取る。
「……それはこっちの台詞だよ」
 白が黒に染まっていく。

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