白鳥になるなら裏切りが交錯する

Written by Chisato. No reproduction or republication without written permission.

 忍術学園において、忍たまとくのたまは犬猿の仲と相場が決まっている。忍たまは一年生のとき、くのたま二年生から強烈な洗礼を受けるからだ。彼女たちは虫も殺さぬような笑みを浮かべ、楽しく話していたかと思うと、忍たまを落とし穴や池に落としたり、毒入り団子を食べさせたり、からくり屋敷の餌食にしたりする。

 なぜそんな嫌がらせ――学園の者はこれをいたずらと呼んでいたが――をするのかというと、女であるくノ一は、男の忍者に見下されがちだからだった。入学したばかりの頃は背の高さも力の強さも同じくらいか、くのたまのほうが忍たまよりも勝っているかなのだが、成長するにつれてどちらも忍たまが勝つようになる。そしてくのたまは体力勝負の面ではどうしたって忍たまに負けてしまう。女は非力だ、使えないとなる。

 しかし彼女たちは賢く、力がだめなら頭を使った。いかに巧妙な罠を仕掛けるか、己の姿形を利用できないか――そうして考えられたのが色、いわゆる「女」を使った術である――思考を巡らせるのだ。忍たまに、くノ一を女だからと甘く見ては足元をすくわれるという教訓を与えるため教師陣はいたずらを奨励したし、くのたまは己の自尊心を守るためいたずらをした。

 そういうわけで忍たまはくのたまと好んで関わろうとせず、くのたまもいたずらをする以外の目的で忍たまに近寄ることはなかった。ごくまれに忍たまとくノ一志望でないくのたまが恋に落ちるときもあったが、たいていの場合、くのたまが家に別の相手との縁談を進められて一緒になることはなかった。忍たまに友好的かつくノ一を希望するくのたまは、学年ひいては学園でもトップクラスの者が多く、己と相手の力量や気質のバランスをきちんと把握した上で交流をもっていた。そのためプライベートの関係が授業に支障をきたすなんて公私混同はなかった。

× × ×

 忍術学園は忍者とくノ一の学校だが、四六時中忍術について学んでいるというわけでもない。特にくのたまは、下女や女中として潜入するため料理や裁縫を習ったり、色を使いこなすべく化粧の練習をしたり、舞の稽古や和歌を詠むのにもいそしんだ。

 くのたま五年生のこの日最後の授業は、体力作りとチームワークの向上を狙ったバレーボールだった。ありがとうございました! と元気よく声を合わせて教師に挨拶し、それぞれ仲のいい者と自室を目指す。

、またあとで」
「うん」

 は額の汗を拭きながら、クラスメートが使ったボールの片付けをひとり始めた。くノ一教室では週番――四人一組の班で、ひとりにつき二つ仕事が与えられる――が授業の準備や後片付けをする決まりになっていて、が今週の体育当番なのだ。
 ボールの入った箱を抱えて校庭を歩いていると、少し前の方に穴があった。大きさからして蛸壺――ひとり用の塹壕――だろう。掘ったのは十中八九、学園が誇る天才トラパー、綾部喜八郎だとは思った。綾部は穴掘り小僧とも呼ばれていて、あちらこちらに落とし穴を掘っている。
 は蛸壺を覗いた。

「あ、善法寺先輩」

 視線の先には、六年生の忍たまがいた。忍たまは桃色の頭巾を見て顔をひきつらせたが、だと分かるとほっとした表情になる。

「ああ、か。よかった」

 は忍たまに友好的なくのたまだった。

「これはまた一段と深いですねえ。出られますか?」
「……あー、それが今何も持ってなくて」
「あらら、相変わらず不運ですね。ちょっと待ってください。苦無をお貸しします」
「ありがとう」

 ちゃんと避けてくださいね、と言って、は苦無を蛸壺へ落とす。善法寺は迷わず避けた。

「助かるよ。最近、綾部の罠が妙に多いんだ」

 苦無を土の壁に突き刺して登りながら善法寺は言い、続ける。

「しかもみんな凝ってて。……うわあ、この蛸壺もだめだな。深すぎるし壁が崩れて苦無じゃ登れない」

 善法寺は壁から苦無を抜き、穴の底へ着地した。

、悪いけど用具倉庫から縄ばしごを持ってきてくれない? それか作業してる留三郎がいるはずだから呼んできて」
「え……」

 食満留三郎は、が唯一苦手とする忍たまだった。

「善法寺先輩」
「うん、分かってるよ。でも呼ぶくらいいいじゃないか」
「……ほかの人じゃいけませんか?」
「うーん、なんでそんなに留三郎がいやなの?」

 善法寺は首をかしげた。
 は赤く染まってゆく空を背に眉をしかめ、なんでって、それは、と言い淀み、口を閉ざす。

「留三郎はいいやつだよ」
「それはなんとなく分かります。だから苦手なんです」
「どういうこと?」

 善法寺は首をひねる。質問するのをやめる気はないみたいだった。
 はため息をつく。食満を苦手とする理由を話すには、この学園でひた隠しにしてきた自分の生い立ちを教える必要があった。そして秘密を吐露してしまえば、これからの人生に危険が及ぶかもしれなかった。
 の今は、過去を捨てたからこそある。未来もきっとそうだ。
 しかし、そのひめごとは細い肩で背負いきれないほど重かった。
 ゆっくりと色を変える夕空を仰いで、は口を開く。

「…………いいなずけに、似てるんですよ」

 そうぽつりと呟くと、立て板に水を流すように話し始める。

「わたしは忍者の里に生まれました。忍者に囲まれて育ったわたしは、くノ一になるのは当たり前のことだと思っていました。だからなんの疑問も抱かず、里の忍術学校で学んでいたんです。でも、十三の春、里を探りに来た別の忍者と出会いました」

 は目を閉じる。風の音に草の青さ、ばかみたいに晴れた空とうぐいすの声、川のきらめきに吸い込まれてゆく桜の花の見事さ、記憶のすべてがありありと蘇った。

「その忍者は里の外について教えてくれました。恋仲がいるらしく、相手の話もよく聞かせてくれました。夫婦になるのだといつも笑って言っていて、でも、わたしは、わたしも、くのたまのはしくれだったのです。里の長に、その忍者の存在を告白しました」

 は声を震わせた。下唇を噛む。

「忍者は死にました。わたしはたくさんの大人に誉められました。そのときはじめて、心の底から里の者を軽蔑しました。気持ち悪くてしかたなかった。わたしが長に忍者のことを言ったから、ひとつの命が消えたのです。わたしは小さな人殺しでした。それから里に疑問を持ち始め、忍者が教えてくれた未知の世界を見てみたくなりました。できることなら忍者の恋仲に会って、謝りたいとも思いました。そんなわたしを危惧したのか、同じ年の夏、いいなずけが決まりました。いいなずけは文句のつけようがない人でした。優しかったし、頼りがいもあったし、とりわけ優秀な忍たまでした。でも、わたしは受け入れられなかったのです。里に縛られたくありませんでした」

 善法寺は黙って聞いている。
 は眉をハの字にして笑った。

「それにね、恋をしてみたくなったんですよ」

 恋仲のことを話す忍者の眩しさを思い出しながら、は言った。

「わたしは鳥みたいにすてきなものじゃないけれど、籠の中なんてごめんです。……善法寺先輩。里を抜けるとき、ひとりだけ手伝ってくれた者がいました。誰だと思いますか?」
「さあ、誰かな」

 夕空は夜に染まりつつあった。

「いいなずけです」

 の表情は見えない。

「どこまでもいい人でした。食満先輩は、そういう人と似てるんです」
「そっか。でも、似てるだけだろう? のいいなずけはのいいなずけで、留三郎は留三郎だよ。あんまり避けてやらないでほしいな」
「……善処します」

 善法寺は苦笑いをこぼした。懐から鉤縄を取り出して、穴の縁に引っかける。
 は目を見開いた。

「何も持ってないんじゃなかったんですか」
「はは、僕も忍者のたまごだよ」
「失態です。まんまと一本取られました」

 失態だなんてひどいなあ、と言いながら、善法寺は縄をつたって壁を登る。
 はその様子を見つつ、口を開く。

「つまらないことを話しましたね。忘れてください」
「忘れないよ、にとって大事なことだろう? 僕は、のことならなんでも覚えておきたいなって思うよ」

 はひゅっと息をのんだ。
 善法寺が地上に現れ、はそれを見上げる形になる。

「……今更ですけど、善法寺先輩の下の名前ってなんていうんですか?」
「本当に今更だね。伊作だよ」
「ふうん」

 は善法寺の横をすり抜ける。

「え、それだけの反応?」

 善法寺は振り返った。
 その気配を感じ取ったは善法寺に向き直る。そして肩の荷が下りたように、さっぱりと笑った。

「伊作先輩、今日の夜ごはん、一緒に食べませんか?」

× × ×

「なまってください」

 の鋭い視線が食満を射抜く。いろいろな学年の生徒は、なんとも珍しい組合せにちらりとらりと視線を送るのに忙しく、朝餉をつつく手を止めた。

「は? いきなりなんだよ」
「いいから黙ってなまってください」
「黙ったらなまれないぞ」
「そういう冷静なツッコミはいりません」

 はぴしゃりと言い放った。
 食満の斜め後ろにいる善法寺は、この後輩は不器用だなと思いながら苦笑する。
 の剣幕に押されて食満はしぶしぶ口を開いた。

「今日はいい天気だべー」

 の目はやや大きくなり、まぶたに隠された。口許には笑みが浮かぶ。記憶の中のいいなずけはもっと屈託なく笑ったし、白い歯を見せていたし、声色もこんなふうじゃなかった。

「うーん、違う。全然違う。食満先輩は与四郎先輩じゃない」

 はすっきりとした表情で声を弾ませた。
 食満は眉をしかめる。は四年の秋の終わり頃、学園にやって来た。変な時期に入ってきたものだからよく覚えている。はじめて目が合ったとき、は幽霊でも見たような顔をしていた。以来、食満はずっと避けられてきた。くのたまとは関わらないに越したことはない、そう思っていてもいい気分はしなかった。そんなが突然話しかけてきて、なまれと言い、言う通りにすれば違うと否定する。しかも知らない男と比較された。何がなんだか分からない。

「よかったあ」

 しかし、今まで向けられたことのない満面の笑みを浮かべるを目の当たりにして、何も言えなくなってしまう。この後輩は、こんなにもかわいかっただろうか。
 善法寺は呆然とする食満をつついて我に返らせる。

「留三郎、食べよう」

 そしてを見て笑った。よく頑張ったね、と言って頭を撫でる。
 は真っ赤になった顔をばっと上げた。
 昨日までとは違う二人を見て、食満はどうしてだか苛立ちを感じるのであった。

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