C.E.x.x.x

Written by Chisato. No reproduction or republication without written permission.

 まっくろに塗りつぶされた、無重力の、海のようなところに沈んでいたのに、ぐっと上のほうに引っ張られる。いやだ。わたしにかけられる力とわたしが反発する力のせめぎあいは、釣竿を持っている人とぐいぐい糸を引っ張る魚のそれによく似ている。わたしはぐうっと引かれて白い光の中に放り出された。ゆるゆるとまぶたを開ける。
「…………朝は、なんだか、しらじらしい。悲しいことが、たくさんたくさん胸に浮かんで、やりきれない」
「なーに暗いこと言ってんの?」
「らすてぃ……ラスティ!?」
 わたしのため息を遮った声の持ち主を見て、もやがかかっていた思考がクリアになる。どうして? いったい、どうなっているの? わたしの、めのまえに、ラスティがいる。もう一度見る。じっくり見る。それから彼に手を伸ばして、あと五センチというところで引っ込めようとしたら、手首をがしっと掴まれた。ああ、ラスティだ。うれしくって、目の奥があつい。
「寝ぼけてんの? 
 。わたしの名前。ラスティに、もう決して呼んでもらえないと思っていた名前。それが音になった。どうしよう、これは夢なのかもしれない。それなら、どうかこのまま覚めないでいてほしい。 覚めてしまうとしても、これだけは言っておかなくてはならない。
「あ、あのね、ラスティ。……わた、わたし」
 ほろり。嬉し泣きなんて、いつぶりだろう。
 血のバレンタインがあり、大戦争がはじまって、何だか不安で、身を粉にして働いて、役に立ちたいという気持ちでアカデミーの扉を叩いた。いざ現場に飛び込んでみると、たどり着く場所さえも分からないのに、とにかく走るだけだった。頭はいつも鉄の塊を兵器にする方法でいっぱいだった。訃報を嘆く余裕なんてなく、運命とうまく付き合っていくなら、きっと、悲しいとかさびしいなんて言ってられない、そう自分に言い聞かせて涙でぐしゃぐしゃの顔を上げた。傷ついた指で工具を放さなかった。わたしは生きるほど何かを失っていった。
 わたしの手帳には、たくさんの命日が並んでいる。こんなはずじゃなかった。戦争が、みんなおかしくしてしまった。
 よしよーし、と言ってラスティがわたしを抱きしめる。ぽんぽんと一定のリズムで背中をたたいてくれる。涙が止まらない。
「い、いつもありがとう。わたし、ラスティが――」

 リビングの机の上には、色違いのマグカップがワンペア仲良く並んでいる。
「来週、旧ミネルバ組で飲みに行くから、予定空けとけよ」
 モニターに映るハイネが言った。了解でーす、と笑って敬礼するわたしの髪は長くて、耳元では赤色をした雫型のモチーフのイヤリングが揺れている。
 後ろのソファーから、えー、また外で食べてくんの? 昨日もニコルに飯作りに行ってたし、その前の日もレイんとこで済ませてきたじゃん、なんてぶうたれるラスティの声が聞こえた。……まったく、このわがままな希望をどうしようか。ハイネとの通信を切って振り返る。
「なに、にやにやしちゃって。そんなにハイネとの飯が楽しみなわけ? やーらしー」
「あのねえ、ミネルバにいたみんなとの、ご飯だよ」
 ちょっと寄って、と言ってラスティの横に腰かける。ぴったり寄り添ったわたしたちの姿が夕焼け色の窓に映った。まるでクロサンドラみたいだなあ。
 深呼吸して、わたしが嬉しいのはね、と口を開く。
「こんな未来があればいいなって、ずっと思っていたからだよ」

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