合縁奇縁

Written by Chisato. No reproduction or republication without written permission.

 夜の中に雪が舞っている。
 黒いスーツケースを引いていたは足を止めた。スーツケースは縦七六センチ、横五一センチ、高さ三一センチ、重量六キログラム、容量九五リットルの大型で、もはやスーツケースというよりも収納スツールみたいだ。中には身の回り品や必要最低限の服、シャンプーなどの生活品、およそひとりで食べきることのできない量のインスタントみそ汁とレトルトごはん、十四日分の非常食セットが詰められている。
 空の奥深くからしんしんと降りてくる雪を見ていると、はノスタルジックな気分になった。
(もしかしたら、これが今年最後に見る雪になるかもしれない)

 は再び歩き出し、灰色のビルへ入っていく。それからエレベーターに乗った。いやはやご苦労さんの語呂合わせで覚えた通り一階、八階、八階、八階、五階、九階、六階、三階の順にボタンを押せば、彼女ひとりを乗せた無機質な箱はすうっと地下へ降りる。

 ドアが開くとスーツの男が立っていた。

さんですね。こちらへどうぞ」
 と言って、彼はを部屋へ案内する。

 部屋には五振りの日本刀が並べられた机が一卓あり、直径二メートル、高さ三メートルほどの円柱が立っていた。円柱は透明の素材でできていて、スライド式のドアと計算機のようなパネルがついている。
 と男性は机の前に立った。

「左から加州清光、蜂須賀虎徹、山姥切国広、歌仙兼定、陸奥守吉行です」

 彼は言い、赤い鞘に黒い柄巻の刀を手で示す。

「まず加州清光。新撰組『沖田総司』が使用していたとされる打刀です。貧しい環境で生まれたせいか、綺麗にしていれば主に可愛がってもらえると思っています。大和守安定とは正反対に見えて似た者同士の喧嘩仲間です。隣の、鞘も柄巻も金色の刀は蜂須賀虎徹。江戸時代に活躍した刀工、虎徹作の真刀である打刀です。弟の浦島虎徹をかわいがる反面、贋作である兄、長曽祢虎徹には反発しています」

 男は説明を進める。

「そして山姥切国広」

 真ん中の刀へ顔を向けて、はその美しさに目を見張った。
(きれい)

「霊剣『山姥切』を模して造られたとされる打刀です。オリジナルでないことが――」

 男は喋り続ける。
 しかし、黒い鞘から放たれるなめらかな光には心を奪われ、話など少しも聞いていない。
(黒曜石みたい)
 は一振りをじっと見つめる。
 そうしているうちにすべての刀の紹介が終わった。男がに向き直る。

「最初の刀剣を選んでください」

 彼は言った。

「これにします」

 は迷わず黒い宝石に似た刀を手に取る。両手にずっしりとした重みを感じると不思議な嬉しさが込み上げてきた。

「それでは刀剣男士を顕現させてみてください」
「はい」
 と応えて、は一振りを高く掲げる。

 そして顔の前まで持っていき、額と鍔を合わせた。目を閉じて念じる。一瞬鍔が熱くなる。白い光がまぶたに透けた。
(眩しい)
 ふっと両手の重みがなくなる。ぶわりと風が起こった。光が収まる。がゆるゆると目を開けると、先ほどまでいなかった青年が立っている。

「山姥切国広だ。……何だその目は。写しだというのが気になると?」

 彼は薄汚れた布をかぶっているが、神秘的な美しさを湛えていた。金色の髪と緑色の瞳がの目を奪う。

「きれい」

 は思わず呟いた。
 彼はまつげを震わせそっぽを向く。

「きれいとか、言うな」

 男は二人の様子を見て頷く。

「成功ですね。おめでとうございます」
「ありがとうございます」
「早速はじめましょうか」
「はい」

 男は透明の円柱のドアを引き、と青年に中へ入るよう促す。

「身体にかなりの負荷がかかります。気をしっかり持ってください」

 二人はドアをくぐった。慎重にドアが閉められる。男はパネルに数字を打ち込んでいく。は左手首の腕時計に触れると、隣の青年を見上げた。

「……親しい人みんな、わたしがこの時代を出ていくことを知らないの。わたしは『正規時間』の『現在』から切り取られて『過去』へ貼り付けられる。詳しい行き先は知らないわ。でもきっと淋しいところ。だからあなたがいてくれてよかった。もしひとりぼっちだったら、今頃泣いてたかもしれない」
 と言って眉をハの字にし、笑う。

 透明の壁がぶるぶると震えだす。
 は深呼吸をひとつすると、強がって明るい声色で話す。

「山姥切国広。うんと強くなって、わたしを助けてちょうだいね」

 不安と決意で揺れる瞳に、青年の呼吸が止まった。
 一瞬の空白ののち、彼は口を開く。しかし、ゴオーッという地鳴りのような凄まじい音が言葉を飲み込ませた。見えない力が二人の身体をぐんと引っ張る。その力は上下左右、三六〇度どこからでも構わず襲いかかった。二人は固く目をつむり歯を食いしばる。逆流していく体液。自分は動いていないのに全速力で運ばれていくようなスピード感。おびただしいほどの色彩が、ちかちかと光りながら頭の中を通り過ぎていく。昼、朝、夜、昼。すべてが遡る。脂汗が全身に浮かぶ。
(内蔵がぐちゃぐちゃになりそう)
 は足をふらつかせた。
 それに気付いた山姥切国広が、朦朧とする意識の中まぶたを開ける。彼女へ手を伸ばし、守るように抱き締めた。はすがるみたいに彼の背へ腕を回す。華奢な手が布をぎゅっとつかむ。

 今から二人は、過去へ飛ぶ。

* * *

 西暦二二〇五年。
 歴史の改変を目論む『歴史修正主義者』によって過去への攻撃が始まった。
 時の政府は、それを阻止するため『審神者』なる者を各時代へと送り出す。
 審神者なる者とは、眠っている物の想い、心を目覚めさせ、自ら戦う力を与え振るわせる技を持つ者。その技によって生み出された付喪神「刀剣男士」と共に歴史を守るため、審神者なる者は過去に飛ぶ。

 審神者はその存在を秘密裏にされているものの、国家公務員の特別職にあたった。基本は週休二日制だ。ただ、外出するとき政府からの外出証が必要になる。また、過去にある「本丸」と呼ばれる仮住まいから、本来いるべき正規時間へ戻る際、身体にものすごい負荷がかかった。そのため休日も本丸で過ごすことが多い。

 本丸は鎌倉、室町、安土桃山、江戸などの時代で使われていない建物を間借りしているような感じだ。それは神社だったり、寺院だったり、武家屋敷だったり、城だったりする。そして、いずれも人避けのシールドが張られてあった。もし足を踏み入れられても誤魔化せるよう、当時の部屋の様子を見せるホログラムも施されている。さらに塀の門扉など、外界との出入り口になるものは必ず固く閉ざされていた。
 審神者が電気のない環境へ行く場合は、ソーラーパネルといった自家発電機器も設置される。特別発注のルーターは電波の有無に関わらず常設された。
 そして、本丸に置かれるものの中でとりわけ重要なのは『ゲート』だった。

 ゲートは、本丸と別の時代や場所などを結ぶ要所だ。たいてい井戸が使われ、口の大きさは直径二メートルから三メートルほどが好ましい。側面には計算機と似たパネルが取り付けられた。パネルを使ってゲートを接続すると井戸の水はなくなり、時間の通り道となる。またゲートを閉じていれば通常の井戸としても使えた。
 しかし、致命的な問題があった。通行者は文字通り井戸に飛び込んで時代を渡るのだが、身体に、暴力ともいえるような負荷がかかるのだ。行き先から本丸へ帰ってくるときも同様で、負荷に耐えられる、強靭な肉体と精神力を持ち合わせた通行者が必要だった。
 そこで活躍するのが刀剣男士、その付喪神である。

* * *

(そらが、あおい)
 ぽーんと宙に放り出されたは思った。と山姥切国広は、井戸から吐き出されるようにして本丸へ辿り着いたのだ。黒いスーツが重力で落ち、派手な音を立てる。山姥切国広はを抱き締めたまま器用に地面へ下り立った。

「……おい、大丈夫か」

 彼は少し疲れた様子で訊き、の顔を見る。そして驚いた。肌はぞっとするほど青白く、瞳は閉ざされている。
 は返事をしようと口を開くが、気持ち悪くなって閉じた。胸焼けがするし、胃酸が逆流したのか口の中が酸っぱい。頭も働かず、ものを考えるのも億劫だ。

「おい」

 彼に焦りの表情が浮かぶ。彼がをそっと地面に横たわらせて井戸を覗くと、ゲートは閉じられ水が張っていた。彼は水とを見比べ、近くにあった手桶をつかむ。どうするべきかは記憶が知っていた。
 水を組んで、しばしの逡巡ののち、の顔に冷たい水をかける。

「おい」

 しかし応えはない。
 恐る恐る生気のない頬を叩く。

「おい、聞こえるか――」

 彼はの名前を呼ぼうとしたが知らないと気付く。どうしたものかとため息をついて顔を上げると、いつの間に現れたのか、きつねが彼を見ていた。

「はじめまして。私はこんのすけと申します。案内人を務めさせていただきますので以後お見知りおきを」

 きつねは喋り、続ける。

「審神者さまは負荷でかなりの体力を消耗してしまったようですね」
「大丈夫なのか、これは」
「はい。半刻ほど休めば回復するはずです。布団を敷きましょう」
「ああ」

 ほっとした表情で彼は応えた。
 こんのすけが本丸に入っていく。本丸は武家屋敷で、明治維新後の純洋風の建築物に似せて建てられていた。伝統的な商家のたたずまいと洋風のつくりが一体となっており、一見すると商家のたたずまいと同じだが、正面から向かって左手の二階のベランダ部分と窓が洋風の作りとなっている。
 こんのすけは、を横抱きにして付いてくる山姥切国広を振り返った。そしてこともなげに言う。

「よくあることですよ」

 山姥切国広は眉をひそめる。

「これが、か?」
「はい、審神者さまは人の子ですから」

 どことなく腑に落ちなくて、彼は口をへの字にした。こんのすけが、こともなげに繰り返す。

「よくあることです」

 彼は腕の中で眠るを見る。の震えた、明るい声が頭に響く。

――山姥切国広。うんと強くなって、わたしを助けてちょうだいね。

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