が目を覚ますと、山姥切国広が布団の横に正座で控えていた。彼の隣にはこんのすけもいる。スーツケースは部屋の隅に寝かされてあった。
こんのすけはへの挨拶にその名前と役割を教え、訊く。
「審神者さま、ご気分はいかがですか?」
「……よくはないわ。頭にもやがかかっているみたい。でもここに来たばかりのときよりはまし」
と言って、は身体を起こそうとする。
山姥切国広はそれを支えた。
「ありがとう。あー……山姥切」
「俺は山姥切じゃない。写しだ」
彼は怒ったような声を出した。
「ごめんなさい」
は頭を下げる。
山姥切国広は山姥切の写しであって、山姥切ではない。それが彼のアイデンティティーでもありコンプレックスでもある。写しの山姥切国広が本科の山姥切の名前を騙れば、山姥切国広は偽物になってしまう。それは断固として避けたかった。
「外が明るいわね。こちらはお昼くらい?」
「ああ、未の刻だ」
「未の刻っていうと――」
は頭の中に円形の表を思い浮かべる。子、丑、寅……と十二支を数え、左手首の腕時計と照らし合わせる。子の刻が深夜十二時前後のはずだから、今は午後二時の前後二時間頃のはずだ。彼女は腕時計のつまみを回す。
「審神者さま、早速ですが敵に動きがあったとの報告です。出陣して沈静化を図りましょう」
こんのすけは机の隅の文机にあったタブレットを目で示す。あれを使えということらしい。はのろのろと布団から出る。それを山姥切国広が手で制して、がきょとんとした顔をした。
「あんた、まだ本調子じゃないだろう。寝てろ」
と口を開いて、彼がタブレットを持ってくる。
「ありがとう。でもそういうわけにもいかないわ。仕事だもの」
はタブレットを受け取り、居住まいを正す。決心した表情へ変わり、瞳に鋭い輝きを宿らせる。しかしそれは一瞬のことだった。は表情をゆるめる。
「あなたは大丈夫?」
「ああ」
「よかった」
花がほころぶような笑顔に山姥切国広は息を呑んだ。
「ゲートに向かいましょう」
こんのすけが告げた。は頷き、木の扉を開ける。如月の風が、肩で切り揃えられた真っ直ぐな黒髪を踊らせた。
「あら、ここ二階なの?」
が思っていたよりも視点は高く、目の前にベランダがある。
「階段はこちらです」
こんのすけがゲートへ案内するべくの前に飛び出る。は恥ずかしそうにこんのすけを追い、山姥切国広はそれに続いた。
一同が井戸を前にすると、こんのすけが話し始める。
「ここから合戦に出ることができます」
は井戸に触れた。
「出陣ボタンをタップして合戦場選択画面に出ましょう」
こんのすけの言う通りタブレットを使って、合戦場が選択できる画面を開く。は『維新の記憶』という区分から『函館』を選択した。
戊辰戦争は函館を終結とし、京都の鳥羽を始点とした一連の戦争である。途中、幕府が重視した日光を要する宇都宮と会津藩の本拠会津の地を舞台に戦闘が行われた。
井戸のパネルが青いランプを点す。これでタブレットとパネルが繋がった。あとはゲートを接続するだけだ。はパネルの指示に従い暗証番号を入力しようとするが、首をかしげる。
「暗証番号って?」
「審神者登録番号です」
「ありがとう」
いやはやご苦労さん、一、八、八、八、五、九、六、三と打ち込めば、ピーッと機械音がしてゲートが開く。
「山姥退治なんて俺の仕事じゃない」
「ええ、そうね。あなたの仕事は時間遡行軍を斬ることと、ちゃんとここへ帰ってくることよ」
と応えて、は続ける。
「いってらっしゃい、山姥切国広」
「……いってくる」
山姥切国広は布を深くかぶると井戸の縁に立ち、落ちるように飛び込んだ。布がはためき、の視界から消える。
「無事に出陣できましたね。タブレットをご覧ください」
こんのすけに促されて、は視線を移した。タブレットは合戦場画面を表示している。合戦場はマス単位で区切られていた。画面をタップすると、敵部隊との交戦になる。山姥切国広が偵察を行う。偵察行為が成功すると、相手の陣形が判明し有利な陣形を選ぶことができるようだった。有利な陣形を選択して、は戦闘を開始させる。相手は短刀が二振りだ。
まず山姥切国広が斬り込む。次に短刀が攻撃する。二振りに連続で斬り付けられた
彼は中傷となった。は目を見開く。彼は、苦虫を噛み潰したような顔をしたかと思うと叫んだ。
「俺を写しと侮ったことを後悔させてやる。死をもってな!」
こんのすけが声を上げる。
「おおお! 真剣必殺が発動しました! はじめての戦闘で発動するとは流石です!」
山姥切国広は会心の一撃を繰り出す。真剣必殺に突入すると戦闘終了まで打撃力が大幅にアップするらしかった。しかし、彼は敵の反撃を受け重傷を負ってしまう。はひゅっと息を呑んだ。タブレットに大きく『敗北』の二文字が現れる。
「むう……残念ながら敗北してしまいましたね。戦闘で敗北すると合戦場から強制的に退陣となります」
パネルが無機質な機械音を鳴らす。 ぼろぼろの山姥切国広が、無遠慮な力で井戸から空へ放り投げられた。はとっさに彼の着地点へ潜り込む。落ちてくる身体を抱き留めて、どすんと尻餅をつく。ぬるりとした血が手に付く。彼はおびただしい量の赤色を流していた。呼吸も浅い。は顔を真っ青にした。唇が震える。
(死んでしまう)
まばたきを忘れてしまったような彼女など構わず、こんのすけは落ち着いた様子で喋る。
「傷ついた刀剣は『手入』をすることで回復できます。早速手入を行ってみましょう」
は山姥切国広の腕を肩に回す。
「これでいいさ。ぼろぼろになっていれば俺を比較する奴なんていなくなる」
「黙って」
おぼつかない足取りでこんのすけを追いながら、は手入の説明を聞いた。はやる気持ちで手入部屋へ雪崩れ込む。
「血で汚れているくらいで丁度いい」
自嘲を浮かべて、山姥切国広は言った。は眉をひそめる。刀剣とはそういうものなのだろうか。
手入には資源消費と時間経過が必要だった。は黙って必要な資源を消費し、手入を開始する。それが彼への返事だった。本来なら待ち時間が経過しないといけないが、手伝い札を使用する。の膝よりも背の低い式神がわらわらと現れたかと思えば、山姥切国広は一秒もしないうちに回復していった。
「次は合戦場で勝利できるように部隊を強化しましょう」
山姥切国広は目を伏せる。表情に影が落ちた。『敗北』と『写し』の文字が彼にのしかかる。
「刀剣は『鍛刀』で新たに作成することができます」
肩を大きく震わせて、山姥切国広が固く口を結ぶ。こんのすけは、二人を案内しようとひらりと舞った。
「山姥切国広」
は彼と目を合わせようとしたが、ふいと視線を逸らされる。眉間にしわを寄せたは背伸びをし、両手で彼の頬をはさんだ。ぐいとのほうへ顔を向かせる。
「……なんだ」
彼は気まずそうにした。は瞳を揺らす。
「まず、ごめんなさい。あなたに怪我を負わせてしまった」
山姥切国広は拍子抜けした。
「戦闘に勝てたほうがベターだったのは確かけれど、どう考えても一対二なんて不利よ。……あのね、あなたが負けたから違う刀がほしいんじゃないの。あなたがまた傷付かずにすむよう、新しい刀が必要なのよ。あんな、血だらけの誰かを見るのはごめんだわ」
消えたはずの鉄の臭いがの鼻をかすめる。無数の傷に苦しそうな表情。肝を冷やすのには十分だった。は彼を真剣な顔で見つめる。彼は視線を下へ向ける。
「そんなことを言っても、どうせ写しにはすぐに興味が無くなるんだろう。わかってる」
「写しって何か知らないけれど、わたしはひねくれてるからあなたの予想通りにいかないと思う。それに、あなた、きれいなんだもの。刀の知識がなくてもきれいだって見て分かるくらいきれいなのよ。そんな刀から、簡単に離れられるものかしら」
とむすっと言って、彼の本体を見る。
「だから、きれいとか、言うな」
彼はさっと布で顔と本体を隠す。彼女は残念な気持ちになった。黒い鞘はやはり美しい光を放っていた。日の射し込むガラスのようにつやつやとしていて、鞘は透き通ってもいないし半透明でもないのに透明感があった。
「どうして? きれいなことはいけないこと?」
「別に、悪いことじゃないが」
「じゃないが何?」
「俺は写しだから」
彼女は首をかしげる。
「写しは悪いことなの?」
「違う!」
彼はひときわ大きい声で主張した。
写しは贋作やレプリカと違い、本物だ。この三つの大きな違いは二つある。
一つ目は、写しと贋作は日本刀、レプリカは日本刀以外のものだということ。
二つ目は、贋作とレプリカは本物に対して偽物だという点だ。
写しと本科は、偽物と本物という関係でなく、オマージュするほうと、されるほうという感じである。音楽でいうオリジナル曲とカバー曲に近い。山姥切国広は『写し』という『本物』として存在する。
はにっと口角を上げた。
「じゃあ堂々としていればいいじゃない」
「だが俺が写しであることに変わりはない。写しは本科があってこそだ。もし写しが、その、きれいだとしても、それは本科がきれいだからだ。俺だからじゃない」
「あのねえ」
はため息をついた。
「写し、写しって、あなたの名前は『写し』なの?」
「俺は山姥切国広だ!」
「はい、そうでしょ、山姥切国広なんでしょ。あなたは山姥切国広として堂々としていればいいのよ。山姥切国広がきれいなのは『事実』なんだから」
と怒るような声で言って、は続ける。
「それに、あなたと会って、へえ~、山姥切っていう刀もあるんだ~って感じなの。『山姥切』なんて知らなかった。わたしからすれば」
は間を開ける。
「『山姥切国広』ありきの『山姥切』よ」
そして挑むように笑った。その顔は、ふふんと聞こえてきそうなくらい自信に満ちあふれている。
(俺は、俺だ)
頭の中で光が弾けて、青い喜びが電流みたいに山姥切国広の全身を駆け巡る。叫びだしたいほどの魂の震え。込み上げる熱情。嬉しさで爆発してしまいそうだ。