唯一無二

Written by Chisato. No reproduction or republication without written permission.

 鍛刀部屋の式神は一行を待ち望み、短い足でせかせかと歩き回っていた。
 室内ははじまりの匂いに満ちている。塵ひとつないくらいひどく清潔に整えられており、木炭、玉鋼、冷却材、砥石といった資源が小さく積み上げられていた。各資源の上には電子パネルが設置されていて、算用数字が資源の量を表している。
 は木炭のゆったりとした香りを吸い込み、筋肉がゆるんでいくのを感じた。山姥切国広も同じで、ふっと気の抜けた表情をしている。彼は刀剣だから、もしかしたらこういう空間が懐かしいのかもしれない。

「鍛刀は各資源と依頼札を消費し、時間が経過することで作成できます」
 と言って、こんのすけが説明をする。

「消費する資源によって鍛刀できる刀剣が異なるので、様々な組み合わせをお試しください」

 はノートに万年筆を滑らせた。電子機器が発達した時代でも、このようにアナログかつレトロなものが好きな少数派は存在する。

「それでは早速、鍛刀を行ってみましょう」
「オーケー」

 は万年筆のキャップを閉めた。ぱちんと軽快な音がする。

「鍛刀にもタブレットを使います。各資源の数字はクリック、フリック、スワイプなどをして調整できます。資源を決定する画面を開いて、初期設定のまま作成してみましょう」

 こんのすけに言われるがままがタブレットを操作して、各資源の電子パネルの表示が『50』に変わる。それを見て式神はせっせと働きだした。
 本来なら待ち時間が経過しないといけないが、はこんのすけによって特別に用意された手伝い札を使う。たちまち白い閃光が放たれ、と山姥切国広は眩しさに目をつむる。そしておそるおそるまぶたを開けると、一振りの短刀ができあがっていた。

「今度の刀は写しじゃないのか?」

 山姥切国広はぶっきらぼうに訊いた。しかし内心は気が気でない。もしこれが名だたる名剣名刀なら、も写しの彼なんていやになってしまうかもしれないと案じているのだ。

「さあ? 本人に聞いてみたら?」
「そんなことできるか」
「そういうもの?」
「ああ」
「ふうん。……あ、今ちょっと呆れた?」
 と呟いて、は山姥切国広の顔を覗き込む。

「そんなことはないが」
「本当に?」

 大きな目が彼を射抜く。彼は諦めたように応える。

「まあ、少しは」
「うん。そうだと思った。こんな感じだから、あなたが刀剣について教えてね」

 は肩をすくめる。彼は頼られたと嬉しくなるが、照れ隠しに突き放す。

「写しなんかじゃなくて、こいつやこれから来るやつらに聞けばいいだろう」
「また写し? 山姥切国広、あなたがいいのよ。それにもし取っ付きにくい刀ばかり来たらどうするの。人嫌い刀剣とか、前の主大好き刀剣とか」

 が顔をしかめる。山姥切国広は眉間にしわを寄せてを嗜めた。

「失礼だぞ」
「でも本当のことだもの。そんな刀だらけになったらやっていけるかどうか不安だわ」

 の表情に影が落ちる。山姥切国広は目を見張った。そして本丸へ飛ぶ前の様子を思い出し、不謹慎にも安堵する。

「あんたも不安になるんだったな」

 彼はをまじまじと見た。
 はぴんと伸びた背筋と利発そうな瞳が印象的だ。自信の塊のようでいて、ほかをかんがみることを忘れない。彼の欲しがる言葉を知っているみたいにぽんぽん与えてくる。恐れるものなどなく、誰の助けも必要としなさそうに思える。しかし陽の面だけを持っているというわけでもないらしい。

「それどういう意味?」

 は心外だと云わんばかりのむすっとした顔になり、口を尖らせる。

「わたしだって人並みに心配事くらいするわ」

 なかなか新しい刀剣を顕現させないに業を煮やしたのか、こんのすけが口を開く。

「審神者さま、顕現しましょう」
「そうね。とにかく、頼りにしてるわ。山姥切国広」
「……自分でも勉強するんだぞ」
「もちろん」

 はにんまりと笑う。そして深呼吸をした。表情が切り替わる。は雛鳥に触れるようていねいに短刀を持ち、両手で高く掲げた。鍔を額にそっと当てる。鍔の熱が肌に伝わる。まばゆい光が弾けて、一人の付喪神が現れる。

「ぼくは、今剣! よしつねこうのまもりがたななんですよ! どうだ、すごいでしょう!」

 艶のある長い銀髪を踊らせて、彼は得意気な顔をした。くりくりとした瞳はざくろのように赤い。瞳と同じ色の天狗下駄も鮮やかだ。
 はしゃがみ、彼と目を合わせてにっこりと笑う。

「はじめまして、今剣。わたしは――」
「審神者さま、名前を教えてはいけません」

 こんのすけがぴしゃりと言った。

「ああ、そうだった」
 と呟いて、は天井を仰ぐ。

「よろしくね、今剣」
「はい! これからよろしくおねがいします!」

 今剣の顔にぱっと花が咲く。
(かわいい)
 は心臓をぎゅっと鷲掴みされる錯覚に陥った。頭を撫でようと手を伸ばす。しかし、はたと思いとどまる。初対面なのに馴れ馴れしすぎやしないだろうか。不恰好に宙に浮かんでいる利き手を引っ込める。今剣は不思議そうな顔をした。

「義経公っていうのは源義経公でいい?」
「そうです! よしつねこうをしっているんですか?」
「ええ、立派な人だと聞いてるわ。鵯越の逆落としにはわたしもびっくりさせられた」
「うまにのったまま、やまのしゃめんをかけおりるなんて、かんがえつかないですからね! よしつねこうはすごいんです!」

 今剣は嬉々として話す。白い頬に朱色を差し、目をきらきらと輝かせて跳び跳ねる。

「うん。きっとそういう人の刀だった今剣もすごいのね。わたしも頑張らなくちゃ」
「へへ」
「最後までしっかり戦わないと義経公に怒られてしまうわ」
 と言って、は笑う。

 今剣は雷に打たれたような顔をした。走馬灯のように記憶がよみがえる。青空の透き通った感じ、うっとりするほど深く落ち着いた色の山、朱塗りの鳥居、そして――。彼は赤い瞳をゆらゆらと揺らし、ほろりと言葉をこぼす。

「じじんはいやです」

 ははっとする。迂闊だった。刀剣の前で『最後』など口にすべきじゃない。

「今剣――」
「ぼくは、よしつねこうをまもるためのかたなだったのに、じじんにつかわれました。よしつねこうのいのちをうばったんです」

 目を閉じなくても、今剣はそのときの様子を思い出せる。一番傷付けたくない人を斬ってしまった絶望感と無力感。そして寂寥。どうすればいいか分からず、ただ扱われるままだった。床に転がり落ちて、消えてゆく命を見つめるしかなかった。

「あんなにかなしいことはありません」

 今剣はぎりぎりと歯を食いしばりながら言った。

「どんな運命の人にだって見送る人は必要だわ。あなたはそれをしただけのことよ」

 彼を真正面から見て、は苦しそうに告げる。

「でも、ぼくがころしたんです」
「そうかしら。わたしなら、自分の命は自分のものだって、誰かに討ち取られるよりも自分でって思う。人に苦しむ顔を見られるのも、こいつに負けたんだって劣等感を感じるのもいや。だから自分のことは自分で殺す。今剣、義経公を殺したのはあなたじゃなくて彼の意志かもしれないわ」
「それは、ごうまんな、かんがえかたじゃないですか?」
「ええ。でも人ってこういうものよ。もしわたしが義経公の立場なら、 あなたがいてよかったって安心するわ。少なくともひとりぼっちじゃないんだもの。淋しくはないでしょう?」

 ははっきりと言った。猫ように目を細め、静かにまぶたを下ろす。

「あなたはなんにも悪くない」

 ふわっと優しい風が吹いた。
 肩を落とし伏し目がちだった今剣は、目を丸くしていく。瞳の底から熱いものがじわりと込み上げてきた。
 は困ったように笑みを浮かべ、訊く。

「これも傲慢?」
「ごうまんです」
 と応える声は涙で濡れている。

「傲慢なのはだめ?」

 それは意地の悪い質問だった。は今剣の目尻を拭いながら返事を促す。

「わかりません。わか、りません。わか、あ、う」

 ぼろぼろと涙があふれてきて、彼はしゃくりを上げる。本当は傲慢でもいいと叫んでしまいたかったが、できなかった。それをしてしまえば何か大きなものを失ってしまう気がした。
 は辛い過去に触れてしまったことと、泣かせてしまったことに罪悪感と申し訳なさを感じる。あやすように頭を撫でようと手を伸ばすが、少し前にそうしたように動きを止める。
 この子が欲しいのは、わたしの手じゃない。
 一抹の淋しさを感じつつ、手を引っ込めようとした。しかしぎゅっと握って引き留める小さな両手が二つある。

「今剣」

 は目を見開く。今剣がの手を頬に当てている。涙の冷たさが伝わってきて、は悲しくなった。名乗りと鵯越の逆落としの話をしているとき、彼は蕾が開く瞬間の明るさがあった。

「ごめんなさい。ひどいことを言ったね」

 今剣はぶんぶんと首を横に振る。文治五年閏四月三十日、一一八九年六月十五日から抱いていた罪、それが千年経ってようやく許されたような気がした。は瞬く間に彼の胸のつかえをさらっていった。心が軽い。弾丸もびっくりするほど勢いよくに飛び込む。は尻餅をついた。

「あるじさまあ」

 火のついたように泣きながら、今剣はを呼んだ。あふれてくる激情の荒波にただ身を任せる。もみじのような白い手がの二の腕らへんの服をつかんだ。彼がえぐえぐと嗚咽を上げれば、鎧もかちゃかちゃと音を立てる。

「こんどこそ、おそばに、まもるために、おそばに」

 今剣は必死に懇願した。目の前のこの主人を失いたくないと思う。身体をぎゅうぎゅうと押し付ければ、の心臓の音が聞こえる。一定の速度で流れる命の営みが嬉しくてまた涙をこぼす。
(いきてる)
 彼は寺の鐘をつく大きな棒で殴られたような気がした。は母のように優しく彼を抱きしめる。

「大丈夫。よく頑張ったね」
 とくり返し言って、あやすように背中を軽く叩き頭を撫でる。

 今剣は、感情のコントロールを知らない子どもみたいに泣き止まない。鍛刀部屋の式神はおろおろとしている。山姥切国広は口をへの字に曲げた。は、きっと誰にでも優しい。

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