水天彷彿

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 泣き疲れて眠ってしまった今剣を二階の布団に寝かせて、と山姥切国広はこんのすけから部隊の結成方法や刀装の作成方法、本丸の造りなどを聞いていた。

「これで説明はすべて終了です。週に一回、私が報告書を受け取りに来ますので、毎日欠かさず業務日誌など書いておいてください。それでは頑張ってまいりましょう!」
 と告げて、こんのすけは去っていく。

 と山姥切国広は居間へ移った。障子を開け縁側に出ると、空が藍色に染まっている。今日は新月だから星がよく見えた。あふれんばかりの小さな光が力強く瞬いている。
(すごい)
 の知っている一番きれいな星空はプラネタリウムだ。小学生のとき、学校の先生に連れられて市の青少年科学館で見た。二十三世紀の夜空は町の光に照らされ、いつも白んでいる。星など数えられる程度しか探せない。そんな自然界の星空よりも、人工物のプラネタリウムは美しかった。多くの同級生が声をあげたことをは覚えている。そしてあまりのきれいさに、が嘘くさいと感じたことも。

「こういう星空って本当にあったのね」

 は夜空のきらめきをじっと見つめたまま話し、続ける。

「でもやっぱりプラネタリウムは嘘つきみたい。本物はずっときれいなんだもの」

 そして山姥切国広を見て笑う。
 彼はプラネタリウムが何か分からなかったが、それよりも『本物はずっときれい』という言葉が気になる。
(どうせ写しにはすぐに興味がなくなるんだろう。分かってる)

「いい刀が来てよかったな」

 山姥切国広は重たい心を抱えて言った。今剣はも認める武将の刀だったというお墨付きだ。

「へえ、今剣っていい刀なのね」

 は暗い様子の彼と反対に、あっけらかんと応える。

「あなたがそう言うなら安心だわ」

 目を弓なりに細めて、はにっこりと笑う。
 山姥切国広は拍子抜けした。
 鳩が豆鉄砲をくらったような顔をする彼に、は首をかしげる。

「どうかした?」
「いや」

――あなたが刀剣について教えてね。

 山姥切国広はをちらりと見る。刀のことを知らないにとって、彼の言葉は彼が思っていたよりも大きいようだった。
 は照れくさそうにはにかむ。

「ほっとしたらお腹がすいたわ。今剣を起こしてご飯にしましょう。簡単なものだけれど文句はなしね」
「俺も食べるのか?」

 山姥切国広は瞠目する。

「ええ。井戸の水を汲んできてちょうだい」
「分かった」

 は二階へ今剣を呼びに、山姥切国広は井戸へ水を汲みに行く。
 山姥切国広は二、三歩踏み出したところでを振り返った。その気配を感じ取ったのか、彼女も彼を振り返る。
 二人の視線がかち合った。
 彼は胸のあたりがむず痒くなり、布を深くかぶる。
 は苦笑した。
(あの布、脱がないのかしら)
 手をひらひらと振って、階段を探す。二階へ上がると今剣はまだ寝ているようだった。起こしてしまうのが心苦しいくらい、穏やかな顔ですやすやと寝息を立てている。

「今剣ー、ご飯よー」

 はそっと声をかける。布団の横に膝を折って、今剣の肩をとんとんと叩く。
 今剣はゆるゆるとまぶたを開けた。寝ぼけ眼をこすりながらを見る。

「……あるじさま?」
「うん」
「ふふ、あるじさまー」

 ゆるく笑って、今剣は身体を起こす。正座のの腰にぎゅっと手を回して甘える。
 は彼の髪をすく。髪はさらさらとしていて柔らかい。

「さあ、ご飯にしましょう」
「ごはん?」
「そう。三人で一緒に食べるのよ」

 は笑った。
 今剣は目を丸くする。彼は刀剣だからものを食べるという概念がない。

「起きて」
と言って、は今剣の頭を撫でると立ち上がった。

 今剣は嬉しそうに目を細め、小さく笑う。

「はあい」

  は部屋の隅のスーツケースを開け、インスタントみそ汁、レトルトごはん、電気ケトルとコードなどの細々したものを取り出した。そのすべてを抱えて部屋を出ようとすれば、今剣に手伝いをかってだされる。

「あるじさまをたすけるのが、かたなのしごとです!」

 今剣はえへんと胸を張った。

「ありがとう」

 は今剣に食品を渡し、電気ケトルとその一式を右腕で持ち直す。空になった左手をもみじのような手がつかんだ。小さな手は刃のようにひんやりとしている。
 階段を下りて、二人が居間に着くと山姥切国広が桶を脇に縁側で座っていた。山姥切国広は仲良く繋がれた手を見、どきりとする。
(やはり写しでは敵わないのか)
 彼にとって、『山姥切の写し』としてではなく『山姥切国広』という一振りの刀として認めてくれたは光だった。彼はその光のために強くなりたい。自信の塊みたいな彼女だが、確かに山姥切国広に助けてと言ったのだ。できることならの一番でいたかった。

「水、ありがとう。早速厨に行きましょう」

 しかし山姥切国広の心中など露知らず、は今剣と手を繋いだまま厨のほうへ足を向ける。

 厨での仕事はがすべてこなした。自家発電気に延長コードを繋げ、電気ケトルと備え付けの電子レンジに接続するのも、桶の水を電気ケトルへ移し替えるのも、電気ケトルの電源をオンにするのも、それから小さなオレンジ色の明かりが点いたのを確認し、レトルトごはんを電子レンジで温め始めるのも全部だ。は三人分の膳、食器、箸を用意しながら湯が沸くのを待つ。湯の沸いたことを知らせるカチッという音に合わせ、インスタントみそ汁の封を切った。粉末を椀に入れ湯を注ぎ、箸でくるくると混ぜてやるとたちまちみその香りが鼻腔をくすぐる。

「はい、出来上がり。畑を耕したらもっとちゃんとしたものが食べられると思うんだけれど、しばらくはこれにお世話になると思うわ」

 電子レンジが鳴る。が扉を開ければ、白い湯気がもわあっと出てきた。レトルトごはんは熱く、が四苦八苦しながら容器を開けて茶碗につぐ様子を刀剣二人が興味深そうに見ている。

「はくまい! おいわいですか?」
「……祝いは赤飯だろう」
「でも、はくまいはきちょうですよ! めったにたべられるものじゃありませんでした」

 は、好奇心旺盛で明るくはきはきとした今剣と、静かに話す山姥切国広を見比べつつ笑う。

「わたしの時代では玄米や麦飯じゃなくて白米を食べるのが普通なの。お祝いをするときは赤飯を炊くわ」

 はそれぞれの膳にインスタントみそ汁の椀とレトルトごはんの茶碗を乗せる。湯飲みに白湯を注いで夕食の完成だ。

「でも今日は白米でお祝いしてみようかしら。あなたたちと出会えた記念にね」

 は茶目っ気たっぷりに笑い、膳を持ち上げた。
 今剣の顔にぱっと花が咲く。
 二人もに倣い、三人で居間へ戻り三角形になるよう座った。

「手を合わせましょう」
 と小学校の給食当番よろしく言って、が手を合わせる。

 山姥切国広も今剣も同じように手を合わせた。

「いただきます」
「いただきます」
「いただきます!」

 三人は箸を持つ。がみそ汁を飲めば山姥切国広も今剣もそうして、がごはんを食べれば二人も同じようにする。
 の口に少し濃いみそ汁の味が広がった。ごはんを食べていると、どっと疲れが押し寄せてくる。
(眠い)

「今日はもうお風呂に入って寝て、明日になったら二本鍛刀しましょう。出陣は一部隊六振り揃ってからよ」

 はさくさくと食べ進め、実際言った通りにした。

 この本丸は一階に手入れ部屋、鍛刀部屋、刀装部屋、居間、広間、客間、書院部屋、厨、風呂、厠があり、二階はもっぱら寝るために使うような感じになっている。

 は山姥切国広と今剣よりも先に湯をもらい、二階に敷きっぱなしだった布団の横に新しく二組並べた。明かりは電気スタンドだけで薄暗い。
 二人分の足音とともに、彼らが髪を濡らしたまま部屋に現れた。

「ちゃんと乾かさなくちゃ。山姥切国広、こっちへ来て」
「俺はいい。こいつをみてやったらどうだ」
と言って、山姥切国広は今剣の背を押す。

「いいえ、髪の短いあなたからするわ。今ちゃんはその間タオル……首にかけている布のことよ、それで髪を拭いておいて。さあ、山姥切国広、背を向けて座って」

 は立ち上がりドライヤーを持った。
 山姥切国広はおとなしくの前に座つ。布に隠されていない金色の頭にタオルがかぶせられた。
 はタオルでしっかりと水気を取り、ドライヤーのスイッチをオンにする。
 音もなく突然吹いた熱風に彼の肩は跳ねたが、気持ちいいのか次第に緊張の糸が解れていくようだった。

「きれいねえ。太陽みたい」

 はきらきらと輝く金色に暖かい風を当てながら目を細める。

「……だから、そういうふうに言うな」
とだけ応えて、山姥切国広は耳を赤くした。

「はやくー」

 今剣はその様子に羨ましげな視線をじっとりと送る。
(いいなあ。でも、あるじさまが、かたなのせわをするってどうなんだろう)
 持ち主に支えられるのではなく、持ち主を支えてこそ刀なのではないか。そんな疑問が彼の頭に浮かんだ。

 山姥切国広の髪はすぐ乾き、今剣がの前に座る。
 彼の髪は腰よりも長いため、はヘアミルクを使うことにした。ピンクのボトルの頭を押してヘアミルクを出し、両手に広げて銀色の髪をていねいに撫でていく。
 彼は機嫌をよくし、今様を口ずさんだ。ドライヤーの風邪に吹かれて、暖かさに船を漕ぐ。長い髪が乾く頃、彼の意識はすっかりもやに包まれていた。
(あるじさまをささえられるかたなって、どんなかたなだろう。つよいかたな?)
 強くなれば合戦場で武勲を立てられる。
(それとも、おおきなかたなかなあ。たちか、おおたち)
 彼はぼんやりとする頭で考える。

「いまちゃーん、布団で寝るのよー」

 が言った。
 気を遣って、山姥切国広が今剣を端の布団に寝かせる。
(ぼくも、むかしはもっとおおきかったような………。きのせいかな)
 白い沼に浮いたり沈んだりしながら、彼は懸命に大きな刀を思い浮かべる。そして、彼が眠りに落ちるか落ちないかというほんの一瞬のはざま、紺碧の空に浮かぶ三日月がまぶたの裏で輝いたのだった。

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