本丸に朝が来た。川の字に並べられた布団の真ん中に、その隣に今剣が眠っている。
いま、なんじ。
は目を覚まし腕時計を見た。二本の針は十時過ぎを指している。こんなにゆっくり寝たのは久々かもしれない。まだ霞がかった頭のまま左を向けば今剣が見えた。あどけない顔ですうすうと寝息を立てている。反対側にいるであろう山姥切国広を確認しようと思って右を向くと、白い布団はもぬけの殻だった。
は今剣を起こさないようそっと布団から抜け出し、ベランダへ続く扉を開ける。太陽の光が目に飛び込んできて思わず目をつむった。俯きがちでまぶたを上げ、右手を日除けに額へ当てる。そよ風が心地いい。
じゃり。ひゅんっ、ひゅんっ。
砂を踏むような音と風を切るような音が聞こえ、手すりに捕まって音のほうへ首を伸ばせば、山姥切国広が素振りをしているのが見えた。
ひゅんっ、ひゅんっ。
彼の動きに合わせて煤けた布が揺れる。
(やっぱりあの布、邪魔そう)
が考えたところ、彼は『写し』であることと『きれい』と言われることを苦手としているようだ。汚れていれば山姥切と比べられる人はいない。そう思ってわざとあんなものを被ってるのだろうか。しかし、は自分を自分で貶めようとする気持ちが分からない。
(そうだ。分からないならやってみればいいじゃない)
はひらめいた。すぐ部屋に戻り、真ん中の布団からシーツを一枚剥ぎ取ると頭からすっぽりかぶる。フードができるよう安全ピンで固定すれば、即席山姥切国広スタイルの完成だ。
一度布を脱ぎ、大きなスーツケースを開ける。巫女装束を着るか正規時間で愛用していたものを着るかで迷った。
女審神者の正装は巫女装束だが、必ず着なければいけないという決まりはない。演練とか、万屋とか、政府に赴くときとかにスーツ代わりだと思って着ろというふうである。巫女装束を着るには手間がかかることもあり、は普段から慣れ親しんだ服を選んだ。
タオルを一枚だけ持って、が顔を洗いに井戸へ行っても山姥切国広は素振りをしていた。
「おはよう」
とが後ろから声をかけると、彼の動きが止まる。
彼は振り返って挨拶を返そうとした。しかし、布をかぶったの姿を見てぽかんとする。
「なんだ、それは」
「うーん、修行?」
「布をかぶれば修行になるのか?」
山姥切国広はわけが分からないという顔で困惑している。
「わたし、山姥切国広のこと、よく分からないの」
「まだ会ったばかりだろう。分からなくて当然だ」
「それもそうなんだけれど、少しでも分かることができるならそっちのほうがいいじゃない? わたしは薄汚れた布なんて脱いじゃえばいいのにって思うのに、あなたは素振りをしているときですらかぶったまま。わたしには、せっかくきれいなのにそれを布で隠す理由が想像できない」
山姥切国広はふいと顔を逸らす。
「昨日も言っただろう。きれいとか、言うな」
「それもよ。誉められたら、ありがとうって受け止めればいいと思うの。でもあなたはそうしない。謙遜ってわけでもなさそう。だから同じことをすればどういう考え方なのか分かるかなって。分かれば、仲良くなれるかなって」
はシーツのフードをつまむと、屈託なく笑う。
「だからこれは、山姥切国広と仲良くなるための修行なの。傲慢だけれどね」
(俺のため?)
山姥切国広は胸の辺りがむずむずした。緩む口元を手で隠す。
は井戸で水を汲み、しゃがんで顔を洗った。そしてタオルを使いかけ、やめる。
「汗かいたでしょ。これ使って」
「それはあんたが顔を拭くために持ってきたものだろう」
「わたしはいいのよ。だって、ほら」
と応えて、はシーツで顔の水を拭った。
「ここに布があるんだもの。便利ね」
「あんた、ばかか」
山姥切国広は呆れたように言う。しかしなぜだか嬉しくて、また口元が緩みそうになる。
「やまんばぎりー!」
今剣がベランダから叫んだ。どうやら起きたらしい。
「俺は山姥切国広だ!」
「ながくていいにくいんですよ!」
「なっ……」
山姥切国広はたじろぐ。はすっくと立ち上がり今剣を見た。山姥切国広と同じように布を着ているの姿を見て、今剣は目を丸くする。
「そのかっこうは、どうしたんですか?」
「修行だそうだ」
山姥切国広がすかさず応えた。の格好が山姥切国広のためだということを彼ひとりが知っていたかったのだ。
「今ちゃんも下りてらっしゃい! 鍛刀してご飯にしましょ!」
「はーい」
ほどなくしてドタドタと階段を下りる音がする。タブレットを小脇に障子から飛び出てきた今剣は、に駆け寄ると手を握り、鍛刀部屋のほうへぐいぐいと引っ張った。は山姥切国広を慌ててつかもうとするが、その手は煤けた布をつかむ。山姥切国広は少しよろけ、恐る恐るの手を取った。そうして今剣、、山姥切国広は手を繋ぎ、縦一列で前へ進む。
「ぼくともおそろい、やってくださいね」
「うん」
「あるじさまは、はながすきですか?」
「うん」
「あまいものもすきですか?」
「うん」
「きょうは、ぼくをきんじにしてくれますか?」
「うん。……あっ」
(ひっかかった)
は目を見開く。今剣は得意気な顔をした。見た目は幼くても、長い間、時の流れに身を置いてきたのだ。彼はしたたかだった。
(こんなことをしなくても、今ちゃんを近侍にするのに)
は眉をハの字にする。
「かわいい近侍さんは、どんな刀剣をお望みで?」
今剣はくるりと振り返り、の顔を仰ぐように見る。彼の目は小さな星をちりばめたように輝き、頬はほんのりと上気している。もその後ろの山姥切国広も、彼が興奮しているとひと目で分かった。
「とってもつよくておおきくて、きれいでたよりになるかたなです」
「あら、楽しみね」
はふくふくと笑う。
鍛刀部屋に足を踏み入れて、今剣はにタブレットを渡した。
「しざいはおおめにしましょう」
「二振り鍛刀したいからオール『500』以上『700』未満かしら」
「もくたんと、といしはすくなめ、たまはがねと、れいきゃくざいはおおめがいいとおもいます」
「うーん……それじゃあ……」
は唸りながら画面をフリックし、木炭を『530』、玉鋼を『660』、冷却材を『660』、砥石を『550』に設定する。
山姥切国広が隣からそれを覗き込んだ。今剣は短刀で、すべての資材を『50』にしてできた。これだけ多く資材を使えば、打刀や太刀が鍛刀できそうだ。今剣を鍛刀するとき、はこう言った。
――あなたが負けたから違う刀がほしいんじゃないの。あなたがまた傷付かずにすむよう、新しい刀が必要なのよ。
そしてほかにもたくさん、山姥切国広を肯定する言葉をくれた。だからこそ彼は不安を感じる。たった一日で、は大きな存在になってしまった。それはきっと今剣も同じだろう。戦力になる刀が来ればいい。しかし――。
が画面をタップすると式神が働き始める。今剣は式神に近寄り、こっそりと囁いた。
「みかづきむねちか、ですよ。いいですね」
は首を傾げる。
「なんて言ったの?」
「ふふふ、ないしょです!」
山姥切国広は顔を上げた。
(いいや、俺は、俺にできることをしよう)
待ち時間が『03:20』と出る。刀は大きかったりレア度が高かったりすると待ち時間が長くなるから、そういう刀が出来上がるはずだ。
が二振り目の資材をすべて『350』に設定して鍛刀を始めると、こちらは『01:30』と表示される。今は十一時過ぎだから、二振り目とは一緒に昼食を取れそうだ。
昼食は待ち時間の短いほうの刀が出来上がってからとることにして、一時間半、は業務日誌を書き、山姥切国広と今剣は手合わせをして過ごした。
そしてが一振りの刀を顕現させ、鎧袖と袈裟に身を包んだ憂い顔の美青年が新たに姿を現す。彼の薄桃色の髪はカールとウェーブで波打っており、両サイドには編み込みが見られる。またハーフアップのように結んでいて、片方の肩に髪を流している。
「……宗三左文字と言います。貴方も――」
彼は少し目を見開き、言葉を切る。彼を迎えたのは、相変わらず布をかぶった、同じく煤けた布の山姥切国広、今剣だった。今まで様々な主人のもとを転々としてきたが、こんなふうに布を着ている主人も、女の主人も初めてだ。この主人は、かつての主人たちとは違うだろうか。彼らはどんな姿になっても焼き直し手元に置いたり、手に入れるだけで満足して使いもしなかったりした。なぜ皆が彼に執着したのか、彼には見当がつかない。
(やっぱり、あの魔王の手が入っているというのがそんなに魅力的なんでしょうか?)
彼は胸のもやを振り払うよう首を横に振る。
「貴方も天下人の象徴を侍らせたいのですか……?」
(侍らす……?)
は首を捻った。侍らすということは、そばに置いて愛でるということだろうか。確かにこの刀剣は不思議な魅力がある。床の間にでも飾れば、たちまち部屋が華やぐだろう。しかしはきっぱりと言う。
「わたしはあなたを飾りにするつもりはないわ」
そして山姥切国広と今剣を見た。
「一部隊六振りで結成するんだけれど、この本丸にいる刀は宗三左文字、あなたと山姥切国広と今剣の三振りだけなの。六振り揃い次第、あなたにも出陣してもらうつもりよ」
「一応僕を戦に出す気はあるんですね?」
「一応というかその気しかないわ」
はあっらかんと応え、続ける。
「それに悪いんだけれど、刀のことよく知らないの。だからあなたを飾っても、ちっともそのよさが分からないと思うわ」
「おい」
と言って、山姥切国広がを嗜める。
「そういうことをばか正直に言うな」
「はい、山姥切国広先生」
は山姥切国広に頭を下げ、宗三左文字へ向きなおる。
「ごめんなさい」
「……いえ」
「えーっと、わたしたち、朝からまだ何も食べていないの。詳しいことはご飯のあとで。腹が減っては戦はできぬ……っていうでしょ?」
眉をハの字にして、は笑った。