「みかづきじゃない……」
今剣は茫然とした様子で呟いた。彼が呼びたかったのは三日月宗近、平安時代の刀工、三条宗近作の太刀だ。十一世紀の末から時の流れを見つめてきた刀剣ならば、刀を励ましてばかりのの拠り所になってくれるはずだと期待していたのだが。
(ちがうかたなが、くるなんて)
、山姥切国広、今剣、宗三左文字の目の前にある刀はどこからどう見たって真っ白の太刀だ。三日月宗近は白くない。
しょんぼりした様子の今剣を見て、は彼が鍛刀したかった刀とは違うものが来たことを悟った。
「すごいわ、今ちゃん。この本丸で一番大きな刀よ」
と明るく言って、励ますようににっこりと笑う。
しかし今剣は表情に影を落としたまま、もじもじとした。
宗三左文字は二人の様子をじっと観察する。
「それに鶴みたいに真っ白。縁起がいいじゃない」
は刀剣を両手で高く掲げる。懇願するように目を閉じ、鍔を額にこつんと当てた。白い光がまぶたを貫くのと同時に、ぱんっと桜の花が開く音がする。そして鍛刀部屋に薄紅色がひらひらと舞った。
「よっ。鶴丸国永だ。俺みたいのが――」
と言って、顕現した刀は目を丸くした。
「こりゃ驚いた」
青年は銀髪金眼にすらりとした体つきで、フードが付いた真っ白な着物に金の鎖をまとっている。手には中指と薬指以外が指貫になっている黒手袋を着用しており、儚げな風貌が印象的だ。
「きみみたいに布をかぶった主人は初めてだぜ」
「いつも着ているわけじゃないわ。今日はたまたま修行なのよ」
「修行?」
「それか、わたしの我が儘」
は、山姥切国広のことを分かりたいという気持ちをエゴイズムのように感じていた。人ひとりを理解するのは大変だ。ましてや彼は付喪神。長い年月を生きてきた。きっとの想像を絶する思い出もあるだろう。似たような格好をしてみたって、彼の考え方は知れそうにない。所詮はひとりよがりだったのだ。
「でも、きみの丈に合ってないだろう。かなり邪魔そうに見えるぞ」
青年はの足元に目をやる。即席山姥切国広スタイルは不格好だった。やっつけ仕事で寄せた布がもたついている。
山姥切国広は居心地が悪そうにした。
「そうだ、これを着ればいい」
青年が名案だとばかりに顔をぱっと明るくさせる。すぐさま上着を脱ぎ、シーツを着ているに彼の上着をかぶせた。大きなフードがの頭を隠す。袖に余裕はあるものの、丈はシーツよりも調度よく、布のもたつきもない。新たな白い着物を身にまとったを見て、彼は満足そうに目を細めたかと思うと飄々とのたまう。
「おっと、まるで白無垢だな」
そしての頭をよしよしと撫で、驚く。
(触れる)
彼は、かつて彼欲しさに墓を暴いたり、神社から取り出したりする者がいてもどうすることもできなかった。しかし今はどうだ。自由に動かせる四肢がある。
の頭からなかなか手を離さない彼を見て、今剣がつまらなさそうな顔をした。山姥切国広もおもしろくなさそうだ。
「なあ、俺みたいのが突然来て驚いたか?」
青年はかがんでの顔を覗き込む。
「ぜつぼうするくらい、びっくりしましたよ」
の代わりに今剣がそっけなく応えた。苦笑いをこぼして、は彼を見る。
「今ちゃん、わたし、鶴丸国永が気に入ったわ。名前に鶴の字があるじゃない。やっぱり縁起のいい刀だったのよ。呼んでくれてありがとう」
「……もう、あるじさまあ!」
今剣はの優しい心配りを察し、嬉しい気持ちでいっぱいになった。
(あるじさまがそういうなら、いいや)
は人の子だというのに、彼よりもよっぽど神様みたいだ。不平や不満、不安をするりと拾い上げて、きらきらと光るきれいなものに変えてしまう。
「鶴丸、白無垢は立派すぎるわ。不格好なくらいが丁度いいの。だから返すわ。ありがとう」
申し訳なさそうに、しかしきっぱりと次げて、は上着に手をかける。それだけで山姥切国広の眉間のしわがすうっと消えていく。
「さて、自己紹介といきましょうか」
鶴丸国永へ上着を渡したが一同を見渡す。
「わたしが最後で、山姥切国広から顕現した順にやりましょう」
は山姥切国広に視線を送った。そうして始まった三人の自己紹介を聞きながら、鶴丸国永は頬を掻く。
(なかなかやっかいな刀ばかりだな)
特にあとの二人は前の主人の影響が強い。
「鶴丸国永だ。平安時代に打たれてから、主を転々としながら今まで生きてきた。ま、それだけ人気があったってことだなあ。……ただなあ、俺欲しさに、墓を暴いたり、神社から取り出したりは感心できないよなあ……」
鶴丸国永は遠い目をしながら告げた。あたかも遠い昔を思い出すかのように。
「起こしてしまって悪かったかしら」
「いいさ、人に使われてこそ刀だ。気にやむなよ」
「そう言ってもらえると助かるわ。わたしは審神者と呼ばれる職に就いてるの。よろしくね」
は鶴丸国永に右手を差し出す。彼は握手を要求されていると分からず首を捻る。それに気付いて、は両手で彼の右手を取った。
「こうするの。握手っていうのよ」
鶴丸国永は握られた手を見た。
(こんなに小さい手の主人なのか)
の手は白魚のようで、一度も刀を握ったことがないとすぐ分かる。ずっと真綿にくるまれて生きてきたのだろう。何にも害されず、脅かされず、のびのびと成長し、己を守る術すら知らないのではないかと思えてくる。
「俺はきみに使われるために呼ばれたんじゃなくて、きみを守るために呼ばれたんだな」
今剣がおやと鶴丸国永を見上げた。彼は三日月宗近でなかったが、を支えてくれそうだ。ほっとする今剣の一方、は眉をハの字に曲げる。
(鶴丸が守るべきものはわたしじゃない)
は静かに両手を離す。
「あなたが守るべきなのは、歴史よ」
鶴丸国永は肩透かしを食らった気分になる。彼は刀剣だから、今まで主人を守ることが第一で、これからもずっとそうだと信じてきた。は過去に仕えた主人の中でも一番か弱く見えるため、より守らなければと使命感を覚えたのだが。
「でも、それがきみを守っちゃいけない理由にはならないだろう? 俺は刀なんだぜ。主人を守りたいと思って当前だ。きみは俺にきみを守らせてくれないのかい?」
訴えるよう訊く鶴丸国永に、は困惑する。
――こんどこそ、おそばに。まもるために、おそばに。
今剣の声がの頭によみがえった。彼の場合はまだ納得がいく。源義経の話をして何かが彼の中に残ったから、を守りたいと願ったのだろう。しかし鶴丸国永は顕現したばかりで、特にこれといった会話をしていない。それでも守りたいというのは、本当に彼が刀剣だからだというだけなのだろうか。
(分からないことが多すぎる)
は頭を捻る。
(でも、守ってもらえるならそのほうがいいわ。無償の忠誠が怖いのであって、鶴丸が怖いんじゃない)
そして、えいやと濁流に飛び込むような気持ちで顔を上げた。
「どうにも抜き差しならないときは、守ってもらってもいい?」
「そうこないとな。任せておけ!」
鶴丸国永は白い歯を見せて笑う。
「あるじさまをまもりたいのは、ぼくもおなじです!」
今剣が対抗しているといわんばかりに跳び跳ねる。
「……俺もだ」
山姥切国広も控えめに主張する。
「僕は」
宗三左文字は言い淀んだ。
(僕は、どうしたいんだろう)
それを察したが淡い笑みを浮かべ、彼のほうへ身体を向ける。
「みんなに合わせなくてもいいのよ、宗三。嫌なことは嫌、いいことはいいって言ったらいいわ。まあ、あんまり嫌われると淋しいけれどね」
「貴方のことは嫌いではありません」
宗三左文字の口からするりと言葉が出た。予想外のことに、山姥切国広、今剣は目を丸くする。
その様子に気分を害して、彼は眉をしかめた。
「まだ、嫌いになるほど一緒にいないでしょう」
「ええ、そうね」
(そうだわ)
は視界がぱっと開けるのを感じた。
「これからみんな、知っていけばいいのね」
焦らずとも、少しずつ分かっていけばいい。の顔に花が咲く。肩の荷が下りた気配を感じ取って、山姥切国広と今剣は嬉しそうに笑った。
「今度の主人は人気者みたいだ。ゆっくり話せそうにない」
鶴丸国永が肩をすくめる。そしてをがしっとつかんだ。
「え!?」
膝の裏に細い腕が回されて、の視点がぐんと横に回る。とっさに鶴丸国永の胴にしがみつけば、視界が白一色に染まった。
「だからちょっと拐っていくぜ」
鶴丸国永はを横抱きにし、好戦的な笑みを浮かべる。他の刀剣はというと、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をすることしかできない。
「ははっ! どうだ、驚いたか!」
と捨て台詞を言って、彼は駆け出した。
鍛刀部屋から飛び出て、ドタドタと廊下を走っていく。風が銀髪を揺らし、鶴丸国永の前髪が立った。金色の目は生き生きとしており、口元には淡い笑みが湛えられている。
(楽しそう)
彼はぐんぐんスピードを上げる。流れていく景色を見ていると不思議と笑いが込み上げてきて、はとうとう声を上げた。
「ふふっ、ふふ、あはは!」
まるで小さな子どもへ戻った気分だ。何もかもどうでもいい。頭の中は空っぽで、難しいことなどひとつもない。は鶴丸国永に抱かれ、ただ風に飛び込んでいく。
「そら!」
鶴丸国永は居間に入って縁側を飛び降り、庭に出た。夕焼けが二人の白い姿を染める。彼は塀の近くにある梅の木まで歩いた。そしてをそっと下ろす。
「あはは、あー、びっくりした」
はきゃらきゃらと笑う。それに口角を上げて、鶴丸国永はの頭を撫でた。
「きみは賢い若い主人だ。そこがいいところなんだろうが、堅苦しい顔は似合わないぜ」
と言って、と目を合わせる。
「人生には驚きが必要なのさ。予想し得る出来事だけじゃあ、心が先に死んでいく。うまくやろうとしすぎて潰れるなよ。……なんてな!」
鶴丸国永がにかっと笑うと、その顔の周りに銀の粒がこぼれた。