「……土まみれになってしまうな……」
「泥にまみれていれば山姥切と比べるなんてできないだろ……」
(このペアはあまりよくなかったかしら)
昨日と同じようにシーツで隠れている頭を、はかいた。にこにこと笑う今剣やびっくり箱のように明るい鶴丸国永と違って、山姥切国広と宗三左文字はなんだかジメジメしている。山姥切国広は自己批判しがちで、宗三左文字は前の主の影響が強く人嫌いなのではと考えてしまう。
「数日後の自分たちのためよ。いつまでもインスタント食品に頼るわけにはいかないわ。数に限りがあるし、不健康だし」
はシャベルで土を起こしながら口を動かした。それを見て山姥切国広も畑を耕し始める。宗三左文字も続いた。すっきりとした青空にシャクシャクという乾いた音が吸い込まれていく。
しばらく作業を進めていると、は身体がじんわりと熱くなってきた。
「山姥切国広、その布暑くない?」
山姥切国広は手を止めを見た。いつも通り感情の読み取りにくい顔をしているが、額にうっすらと汗が滲んでいる。視線を右へ左へとさ迷わせて、観念したように口を開く。
「……暑い」
「やっぱり! 脱ぎましょ」
「だが俺は」
「写しだから?」
山姥切国広はぐっと言葉に詰まった。言いたいことを先に言われてしまったのだ。
「そうだ。こういう煤けた布がお似合いなのさ」
「うーん、写しなのは山姥切国広の個性とか特徴とかだって分かったんだけれど、写しだったら暑いのも寒いのも我慢しなくちゃいけないの?」
「写しに個性はない。あったらそれは偽物だ。俺は偽物なんかじゃない」
「あー……」
黙ってシャベルを土に突き刺しながら、宗三左文字は二人の会話を聞く。
「難しいのね」
「おい、今少し面倒だと思っただろう」
山姥切国広は眉を寄せた。
「ごめんなさい」
「……別にいい。所詮俺は写しだからな」
「別にって何。所詮って何」
「別に」
「だーかーらー」
シャベルから手を話して、はずんずんと歩き、耕した土にくっきりとスニーカーの跡を残していった。宗三左文字はそれを目で追う。そして山姥切国広の赤いジャージを認めるとするすると顔を上げた。
「え」
宗三左文字の口から彼らしくない驚いた声がこぼれる。が山姥切国広の頬を両手で挟んで、その顔を少し斜め下に傾けていたのだ。山姥切国広は強引に合わせられた視線に狼狽している。
「何を」
「なんでそんなに自信がないの。どうして自分を悪く言うの」
きっと眉をつり上げて、は厳しい口調で問う。
には山姥切国広に対して気に入らないことがある。それは、まだ出会って日が浅いながらも大切に思っているのに、その本人が彼を認めていないみたいに思えてしまうところだ。は好きなものを否定されているような気分だった。悲しいような淋しいような感じがした。それに、どんなに彼を誉めても言葉が届かないのかと悔しさを覚えた。
「それは」
「写しだから? だから何! 山姥切国広はすっごくきれいだし、朝早くからひとりで素振りする頑張り屋さんだし、昨日だって寝る前に刀剣のことを分かりやすく教えてくれた。頼りになるいい刀だって思うわ」
「俺は、その」
山姥切国広は真っ直ぐな誉め言葉にたじろいだ。
(写しなんだ。いい気になっては、いけない)
「刀剣男士にこんなことを言うのは傲慢かもしれない。でも、鶴丸は人に使われてこそ刀だって。神さまの一人もそう言うのなら! 主がいいって認めたらいいんじゃないの!?」
の口は止まらない。何を喋っているか、もやは分からなくすらなってきていた。
山姥切国広は初期刀で、はじめて何かをするとき必ず一緒だった。はじめて刀剣男士を顕現するとき、はじめて過去へ飛ぶとき、はじめて出陣するとき、はじめて手入れするとき、はじめて鍛刀するとき……。見知らぬ時代の見知らぬ土地でたったひとりで生きていくのは心細かっただろう。しかし実際は二人だった。そして唯一の味方の彼は人ならざるものだった。は付喪神を『主』として従えなければならず、いつも背筋を伸ばして誰よりも強くあろうとした。
ビーズの指輪はいつかはちぎれる。
所詮、どんなに取り繕っても人は人でしかない。は、優しくて、聡明で、少しわがままだった。物分かりのいい顔の下で渦巻いていた彼への気持ちはついに爆発した。
「山姥切国広は、わたしが一番に選んだ刀でしょう! 自信を持ってよ!」
一際大きな声で、は叫んだ。
「お、れは」
顔を真っ赤にして、山姥切国広が目を左右にちらちらと動かす。彼は明らかに照れていた。はその様子を目にしてからようやくはっとした。
(なんてことを)
の中で思い描いていた理想の主像がガラガラと音を立てて崩れていく。主というものは、いつもゆったりと構えているはずだと考えていた。
「俺は、お前の刀だ。だから、その、善処する……」
山姥切国広は緩む顔を布で隠した。それから、小さな声でありがとうと呟く。は頬から慌てて手を離し、彼よりもずっと赤く染まった顔で頷いた。
「うん、そう、よろしくね。あと、えっと、大きな声を出してごめんなさい」
は頭を下げた。そして山姥切国広の顔を見る。
「……頬に土を付けてしまったわ」
「…………洗ってくる」
そそくさと山姥切国広は井戸のほうへ向かう。しかし、動揺のせいか何もないところで三回もつまずいていた。
(羨ましい)
宗三左文字はふとそう思い、目を丸くする。
(そんなはず……)
「僕は」
ぽつりと出た声がに宗三左文字のことを思い出させた。
(そうよ、本当は宗三と話せるよう畑当番にしたのに)
「宗三、ごめんね」
「いえ。山姥切を、随分大切にしているんですね」
「……もちろん。わたしがここへ来るとき、身体にすごく負荷がかかったの」
は、はじまりの日に思いを馳せる。
「説明はされていたんだけれど想像以上にひどくて、たくさんの色がちかちか光りながら頭の中を通り過ぎていったわ。内臓がぐちゃぐちゃになりそうで、気持ち悪くて、怖かった」
「へえ」
「でも、山姥切国広が守るみたいにぎゅっとしてくれたの。そのとき、ああ、わたしはひとりぼっちじゃないんだってほっとした。本当に嬉しかったのよ」
は微笑んだ。そして元いたところへ戻り、土の上に放られていたシャベルを手に取る。
「僕も」
(初期刀だったら)
「なあに?」
くるりと振り向いて、が首をかしげる。
「……なんでもありません」
静かに目を閉じて、宗三左文字は思い浮かんだことをかき消そうとした。
「そう? でも、言いたいことはいつでも言ってね。なんでも言ってみなくちゃ分からないもの。宗三のこと、教えてねって言ったでしょ。わたし、知りたいのよ」
が明るく笑い、白い歯が薄紅色の唇からちらりと覗いた。
(あの口から僕を肯定する言葉が出れば、どれほど心地いいことだろう)
オッドアイがゆらゆらと揺れる。
(貴方は魔王と似ている)
そこにいるだけで引き付けられてしまうような魅力が、にはある。
「……僕は……」
気づけば言葉がこぼれていた。
「今川義元が討たれた時、僕を戦利品として得た魔王によって磨上られ、刻印を入れられてから今の僕があります。……ですから、義元左文字、とも呼ばれています。その後は豊臣秀吉、秀頼、徳川家康、そして徳川将軍家と僕は主人を変え、天下人の持つ刀として扱われました」
宗三左文字は刻印をそっと撫でる。
「……なぜ、みんな僕に、そんなに執着したのでしょうね……」
「……魔王、ねえ。でも、いったいこの世に純粋な悪人ってどれくらいいるのかしら」
宗三左文字は首をかしげた。はにっこりと笑う。
「あのね、前にも言った通り、刀のことはよく知らないの。だから、山姥切国広からいろいろ教えてもらっているんだけれど、宗三は南北朝時代にできた刀なのよね?」
「ええ」
「その頃の刀は古刀って呼ぶんですってね。実戦向きに作られているって聞いたわ。家康公が幕府を開いて、しばらくは拵に重点が置かれるようになったとも。『泰平の眠りを覚ます上喜撰たつた四杯で夜も眠れず』なんて詠むくらい平和だったんだから、戦うための刀の需要が低くなるのも当然よね」
じっと黙って、宗三左文字は耳を傾けている。
「でも、幕末で古刀ブームが起こった。外国からの圧力と、尊皇攘夷派と公武合体派の対立、それから、えーっと……新政府軍と旧幕府軍の争いでまた戦になったから。宗三の主はみんな武人だったんでしょ? あなたは戦いに優れた刀だから欲しがられたんじゃないかしら」
「でも僕はずっとかごの中の鳥でした」
「……それは」
は考え込んでしまう。
(宗三左文字を励ませる言葉はないかしら)
うんうんと唸るを見て、宗三左文字はふっと淡く笑みを浮かべる。彼のために悩んでくれることが嬉しかった。
「そうだ」
がひらめいたといわんばかりに手を打った。
「宝物って大事にとっておきたいじゃない! あなたは大切にされてたのよ。だって、壊れたら嫌だもの」
「宝物、ですか」
「ええ」
宗三左文字はにこにこと笑うにぽかんとする。
(顔を赤くしたり青くしたり忙しい人だ。……でも嫌いじゃない)
「ふふ、僕の主がみんな武人だというのは間違っていますよ」
穏やかな表情をして、宗三左文字はの頬を両手で挟んだ。はくいと視線を持ち上げられる。
「え?」
「だって貴方は『審神者』でしょう」
(今の僕は、付喪神の僕よりもよっぽど神らしい貴方の刀だ)
「顔に土が付いてしまいましたね。洗いに行きましょうか」
宗三左文字は微笑んだ。その笑顔は美しい。普段の物憂げな表情が崩れるさまが美しいのだ。長い雨のあと、思いがけなく美しい虹が出てきた。そういう感じがする。綿菓子のような甘さすらたたえて、宗三左文字は目を白黒させているの手を引き歩き出した。
「ああ……空はあんなに高いんだな……」