表札は友を呼ぶ

This Fanfiction Was Written by Chisato. Please Don't Reproduce or Republish without Written Permission.


「あの、何かご用ですか?」
 わたしは尋ねた。
 目の前に立つ男の子は、きれいな紺色の髪と目をしている。身内贔屓を差し引いてもリョーマは整った顔立ちだと思うけれど、この子も負けず劣らずというふうだ。ただ、諦めというか、死の臭いというか、そういうものがなんとなく感じられて、ああ、惜しいなと思ってしまう。この子は、思いわずらうことなく愉しく生きていれば、きっと、すてきな表情をするんだろうなあとも考えた。一度死にかけたからか、最近のわたしは人の雰囲気とか感情とかに対して妙に鋭くなっている。
「あの、その看板を見ていたんです」
 そう言って、男の子はリョーマが持ってきたプレートを指差した。
「ああ、これ。うん、気になりますよね」
 わたしは頷きながら言い、続ける。
「この表札、弟が書いてくれたんです。わたしの家族は今まで病院とほぼ無関係の暮らしをしてたから、こうして入院するなんて大事で。入院ってどのくらいの期間するものなのかも分からなかったんです」
 男の子は、それがどうやってこの文に繋がるんだろうという顔をして話を聞いていた。わたしは慌てて言葉を付け足す。
「ええっと、それで、入院してるんじゃなくてホテルに泊まってるんだと思えば? って弟が言ったんです。その先には何も続かなかったけれど、きっと、ホテルに何ヵ月もいないでしょ、だから病室にもずっといないよね、早く家に帰ってきて……っていうことだったんだと思います」
「そうだったんですか。いい弟さんですね」
 わたしはリョーマを誉められて嬉しくなった。三歳下の弟は、目に入れても痛くないほどかわいい。つんけんしたところや生意気な面もあるけれど、とても楽しそうにテニスをするし、試合に勝ったときなんて筆舌に尽くしがたい愛くるしさがあるのだ。
 そうでしょう、と言いたい気持ちをぐっとこらえて、ありがとうございます、とだけ言って笑う。
「でもどうして雫石なんですか? あなたの名前とは違いますよね」
 男の子は、扉の横にある越前様の文字を見て言った。
「ええと、はい。雫石っていうのはわたしが育てているサボテンの種類です。ホテルだけだと味気ないから付け足したって」
 男の子は納得したようだった。そこでわたしは尋ねる。
「ところで、売店ってどこにあるか知ってますか?」

 男の子は売店まで案内してくれた。その道中、わたしたちは自己紹介をしたり、好きな食べ物や住んでいる場所、趣味の話をしたりした。男の子は幸村精市くんという名前だった。幸村くんは焼き魚が好きで、家は神奈川にあり、ガーデニングが趣味らしい。それから、今、フランスの詩にはまっていると教えてくれた。わたしは、越前です、と言い、焼き魚よりもお寿司が好物だとか、東京に家があるだとか、植物が好きだとか話した。そして、フランス文学は分からないけれど、と言って今日読んだ太宰治の一節を暗唱した。わたしたちは初対面だというのに驚くほど話が弾み、明日もまた会おうということになった。
 幸村くんは、わたしの、病院でできたはじめての友人だった。
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