ひと切れのしあわせ

This Fanfiction Was Written by Chisato. Please Don't Reproduce or Republish without Written Permission.


「ううん、知らない」
 ミッフィーがどうしていつも正面を向いているか。その理由を知らないわたしは、首を横に振った。すると幸村くんが、あれはですね、と言って教えてくれる。
「嬉しいときにも、悲しいときにも目をそらすことなく、読者の子どもたちと正直に対峙していたいという作者の気持ちの表れなんだそうです」
 わたしは少し目を見開いた。
「へえ」
 と呟いて、自分のクロックスへ視線を移す。オレンジ色のそれについているジビッツは、ミッフィーちゃんだ。かちり。そのつぶらな瞳と、なんとなく目があったような気がした。
 顔を上げて、幸村くんに尋ねる。
「ミッフィーちゃん、好きなの?」
「え?」
 一瞬戸惑った表情をし、幸村くんは首を横に振る。
「いえ、僕じゃなくて妹が好きなんです」
「あ、そっか。そうなんだ。うん、そうだよね」
 幸村くんは男の子なのに、とんちんかんな質問をしてしまった。恥ずかしい。あちゃーと額に手を当てる。そうしていると、りんごを刺してあるフォークがすっと差し出された。
「わ、うさぎ!」
 わたしは目を輝かせる。視線の先には、なんともきれいに作られたりんごのうさぎがある。
「すごいねえ、幸村くん」
 幸村くんと、幸村くんの力作を見比べ、わたしはしみじみと言った。
「いえ、そんな。普通ですよ」
 幸村くんは少し恥ずかしそうに応えた。あれ、照れてるのかな。なんだかかわいい。
「ううん、すごいよ。わたしの弟なら絶対にこうはいかないよ」
 わたしは、ふふ、と笑いながら言い、続ける。
「食べていい?」
「はい、どうぞ」
 幸村くんは首を縦に振った。
「いただきます」
 と言ってわたしは手を合わせる。フォークを持ち、うさぎを口にする。
 おいしい。さくさくしている。わたしは、すっぱさと甘さですっきりした気持ちになった。噛みしめれば噛みしめるほど、みずみずしい蜜が溢れる。透明な果汁が喉を通る。一口食べるごとに元気になっていく感じがする。
 ひと切れ食べ終わる頃には、日に日に鬱陶しく感じられる点滴の針も、テープで留めてあるところの痒さも、寝すぎて痛い腰も、どうということはないと思えるようにさえなっていた。
 幸村くんもフォークを手にする。いただきます、と言ってうさぎをかじる。その様子を見ながら、わたしは口を開いた。
「実は、りんごのうさぎに憧れてたの。男二人、女一人の三人きょうだいだから、めったに食べられなくて」
「……そうなんですか?」
「うん。それに、兄弟のうち一人がオレンジが好きで、家にある果物はいつもオレンジだったんだよね」
 さくり。わたしはうさぎにフォークを刺す。
「だから今、すごく嬉しい」
 そう言って、きゅっと口角を上げる。そして、まだりんごの香りがほんのり残る口内にうさぎを招き入れた。おいしい。
「じゃあ、明日、もう一つもうさぎの形に切りますね」
 幸村くんは言った。
「いいの?」
 とわたしは首をかしげた。幸村くんが頷く。やった! わたしは口元をほころばせる。
「ありがとう!」
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