ネバー・エバー

This Fanfiction Was Written by Chisato. Please Don't Reproduce or Republish without Written Permission.


 いやだ、いやだ。わたしは先生から逃げるようにホテル雫石へ滑り込んだ。すぐさまベッドに倒れ込む。もう眠ってしまいたい。苛立ちは収まりそうにない。
 先生の言葉は、きっと、正しい。でも、正しいことがいいこととは限らない。良薬は口に苦しというけれど、苦いから薬だと決めつけてしまうのは早い。毒もまた苦いのだ。先生の言うことは、わたしにとって毒だった。体の不調を理由に生まれる焦りを助長するものだった。
 ずっと前からわたしのものであるこの体は、今ちっともわたしのいうことをきいてくれない。
 お母さんは、今日も、お粥なりおじやなり何かしら作って持って来てくれるのだろう。その優しさは本当に嬉しい。感謝もしている。でも、そろそろ固形物を口にしたい。とりわけ肉が食べたい。ぱりっと焼いた黄金色のチキン、さくさくの唐揚げ、湯気を立てるハンバーグ……思い浮かべるだけで喉が鳴る。なのに、痩せてしまってそういうおいしいものはほとんど食べられない。顔色の悪さも全身のだるさも相変わらずだ。
 窓の外から鳥のさえずりや羽音が聞こえてくる。それをバックミュージックに悶々としていると、扉がいつもと同じようにノックされた。ああ、幸村くんだ。今はなんだか誰とも会いたくない気分的だけれど、帰ってとも言いにくい。
「どうぞ」
 わたしは応えた。
 その声をきっかけに扉が引かれ、幸村くんが現れる。
「こんにちは」
 幸村くんは言った。
 わたしはいらいらを抑えるため、布団に隠れている拳をぎゅっと握る。刺々しい声にならないよう気をつけて口を開く。
「こんにちは」
 幸村くんがベッドサイドの丸椅子に座る。
「あのね、わたし、退院することになったの」
「えっ」
 幸村くんは目を丸くした。
「そうなんですか」
 と言って一度目を伏せる。
「退院、退院か……」
 そう呟く幸村くんの声は暗い。どこか遠くをちらりと見て、幸村くんはわたしのほうへ顔を向ける。
「よかったですね。おめでとうございます」
「……うん」
 わたしは小さく頷く。ありがとうとは口にできなかった。幸村くんはよかったなんて顔をちっともしていないのだ。本当はおめでとうとも思っていないんじゃないかな。わたしは拳をぎゅっと握る。
「でも、なんだか浮かない顔ですね。どうしたんですか?」
 と言われて、堪えていた苛立ちがどっと溢れ出す。浮かない顔?
「なにそれ」
 わたしのこのひとことで、ホテル雫石の音が全て消えたような気がした。ああ、いらいらする。
「浮かない顔なのは幸村くんでしょ」
 わたしは言い放った。
「よかったとか、おめでとうとか、そんなふうに思ってないって顔してるよ」
 これ以上言ってはだめ、と考える一方、口が勝手に動く。やめられない。止まらない。
「幸村くん、わたしを見て安心していたんじゃないの? 幸村くんよりも、死にかけて弱りきったわたしのほうがひどい感じがするものね。ねえ、そうでしょ。ほっとしてたんでしょ」
 幸村くんが息を飲む。わたしはその姿にさえ苛立ちを募らせる。ああ、そう、図星なんだ。
 言葉がぽんぽん飛び出てくる。リョーマとの喧嘩でもこんなに激しく言うことはない。今のわたし、やっぱりおかしいんだ。
「最低」
 静かなホテルに、わたしのいらいらした声はよく響いた。ああ、嫌だ、と思って布団に潜る。
「帰って。もう二度と会いに来ないで」
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