わたしに戻るまで
This Fanfiction Was Written by Chisato. Please Don't Reproduce or Republish without Written Permission.
ああ、もう家だっけ。ぼんやりとする寝起きの頭で思った。家とはほっとするもので、荷物の整理を終えるとわたしは吸い込まれるように自室のベットへ沈んでしまったのだ。
枕元の目覚まし時計を見る。どうやら二時間くらい寝ていたらしい。でもまだ眠っていたい。眠くて眠くてたまらない。起き上がるのも億劫だ。このままずっとふわふわした闇の中にいられればいいのに。もう一度思考を黒く塗りつぶそうと、うとうとする。
ああ、でも。
リョーマの声がよみがえる。
もうこのまま起きないんじゃないかと思った。
自信家で生意気でつんとしていて、笑うととびきりかわいい弟がぽつりと言ったひとことを思い出して、起きなくてはと思う。起きて水を飲もう。水を飲んだら顔を洗ってすっきりしよう。お風呂に入るのもいいかもしれない。お母さんにお湯を張ってもらうのもいい。入浴剤も使おうかな。溢れんばかりの湯船に浸かって、嫌なものとはお別れしよう。そうしてすっかりさっぱりしたら、半熟玉子のようにやわらかくってあたたかい顔で笑いたい。リョーマにおかえりと言うときには元通りのわたしになっていよう。
そう思いつくと、のろのろと布団から這い出した。頭に描いたことをひとつひとつ終わらせていく。
畳に座ってタオルで髪を乾かしていると、お父さんが座布団を持ってきてくれたので、ありがとう、と言って受け取る。そしてなんだか泣きたくなった。こういう小さな、でも大きな優しさが嬉しい。ここ最近はずっとそうだ。わたしはこの人に愛されているんだという実感が波のようにやってくる。
「リョーマ勝ったんだってよ」
お父さんが言った。
「本当?」
「おう」
「そっか。……そっかあ」
ああ、よかった。
「次の試合は見に行けるかな?」
見に行きたいなあ。
「どうだろうなあ」
と応えてお父さんはわたしの頭をタオルでわしゃわしゃとする。
「ま、明るくいこーぜ」
「そうだね」
と返して、肩からタオルを外す頃、わたしはかなり元気になっていた。お腹空いたなとさえ考えられる。
「お母さん、今日のご飯何?」
わたしは台所に立つお母さんの背中に訊いた。お母さんはこちらをちらりと振り返って応える。
「うどんすき。肉が食べたいかなと思って」
また泣きたくなった。お母さんはわたしのことを分かってくれている。たくさん考えてくれているし大事にしてくれている。
「ありがとう」
わたしは言った。声、震えてなかったかな。
「ドライヤーで乾かして、リョーマが帰ってきたらご飯にしようね」
「うん」
わたしは洗面所へ向かった。リョーマに会いたい。はやる気持ちでドライヤーを握った。
でも、あとはリョーマが現れるだけとなったところでリョーマがいっこうに帰ってこない。わたしとリョーマ以外はご飯を食べてしまった。
「さん、せめてオレンジだけでもどう?」
と菜々子さんが言う。
「そうよ、何か食べないと。どこかほっつき歩いてるのかもしれないし」
お母さんも言った。
わたしのお腹はぐうぐう鳴っている。
「うん、でも」
リョーマがいないとなんだか食べる気になれない。十九時四十二分のわたしは、リョーマに笑いかけるためにできあがった姿なのだから。
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