水曜日の独白

This Fanfiction Was Written by Chisato. Please Don't Reproduce or Republish without Written Permission.


 ドアの向こうには『呪い』のような空が広がっていた。『呪い』といっても魔女や陰陽師がかけるあれではない。わたしが考えたのはルネ・マグリットの絵だ。水色の空にふわふわした雲が浮かんでいるなんの変哲もない作品で『呪い』というタイトルがつけられている。
 なんだか嫌だなあ。
 心に波を残したまま、わたしは家の鍵を閉めた。
「えーっと、地図、地図」
 と言いながらバッグをあさり、スニーカーをはいた足を青春学園に向ける。地図はパソコンで調べて印刷した。
 地区予選大会を見に行けなかった代わりに今から差し入れをするのだ。あまり重いものは持てないからせいぜい塩飴や塩タブレットくらいしか持っていけないのだけれど、リョーマがホテル雫石によく来てくれたことや怪我をしながらも試合を頑張ったこと、お寿司を持って帰ってきてくれたことを考えるとこうしてなにかしたかった。それにやることを作って思考を止めたかった。
 ホテル雫石から出て家に帰って、わたしはまた学校に行くことにした。こんなにも長く学校を休むことがはじめてだったからかなり緊張した。朝教室のドアをくぐると、わたしを見たクラスメートは鳩が豆鉄砲をくらったかのような顔になった。彼らからは驚きと珍しさが伝わってきた。その驚きと珍しさにも種類があって、わたしが学校に来たという驚きと珍しさ、わたしが事件に巻き込まれたというそれに分けられた。事件は異常だったものの、わたしは普通の女子高生だ。それなのにあんな顔をされては、ああ、わたしはこの子たちにオカシイと思われているんだなあ……とショックを受けてしまう。わたしはその日面食らい、肺がずっと三センチ分重力に引っ張られているような心地だった。加えて他のクラスの子は、あれ、あの子でしょ、カレーの、とか、ニュースで見た、とか、廊下ですれ違う度にひそひそ話をする。わたしは動物園のパンダでも水族館のジンベエザメでもない。注目に気がもめる。先生たちさえ腫れ物に触れるように接してきて、授業中、ああ、越前さんは休んでいたからね、とことあるごとに言う。放課後教えるよ、だの、じゃあ越前さんは飛ばして次の人読んで、だの、気を遣っているのか、気の遣い方が下手なのか、はたまた何も考えていないのか、はなはだ疑問だ。
 だから正直なところ、学校に行くのが億劫で仕方ない。でも行かないというのは間違っている気がするし、そんなことをしたら家族が心配するのは火を見るよりも明らかで、次に教室に入ったときまた同じようなひどい視線を受けるだろう。今できることはただ慎ましく登校してみんなの日常に溶け込むことだ。わたしはこれをこっそりカメレオン作戦と呼んでいる。
 左手のビニール袋を持ち直した。カサカサと音がする。今日はリョーマに黙って来ているから、これはいわゆるサプライズだ。
 テニスをしているリョーマはいつだってきらきらしている。そんな弟からは、どうしようもなくテニスが好きなんだってことがひしひしと伝わってくる。
 テニスとバレエ、どちらをとるか選ぶとき、わたしは自ら後者を選択した。でも少し後悔している。ううん、少しどころかたくさんしている。バレエは楽しい。それは確かだけれど、うまく踊れているかどうかはまた別である。もしかしたら、わたしにも家族と同じようにテニスの才能があったのかもしれない。バレエじゃなくてテニスを選んでいれば、もっと違うわたしがいたんじゃないかと考えるのがわがままだとは分かっている。家族が残念がると知っていながら自分のやりたいことを選んで後悔するだなんて、身勝手だとも思う。だからこのドロドロした気持ちを誰かに打ち明けたことは一度もない。これからもきっとずっとそうだ。
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