アンラッキーと言われて

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「ええっと、うーん、と、ない、と思うけれど」
「えーっ、そうかな。絶対どこかで見たことある気がするんだけどなあ」
 清純くんは顎に手を当てて視線を落とし、頭を捻っている。わたしも記憶の引き出しを開けながら天を仰ぐ。家を出たときと変わらない『呪い』のような空だ。いやな感じがまた心をざわめかす。顔を元の位置に戻すと、考え込む清純くんの向こうにゴムひも付きのボールを打っては返し打っては返している女の子が見えた。長いおさげがラリーと一緒に規則正しく揺れている。
 やっぱりないよ、と言おうとしたとき、清純くんが目を輝かせた。
「思い出した!」
 そう声を上げて手を叩く。
ちゃん、テレビに出てなかったかい? 確か風邪薬が入れられたカレーを食べて救急車で病院に運ばれたんだよね、ニュースで見たよ」
 嫌な汗が流れる。
「うん、まあ」
 心臓がドクドクと脈を打つ。早くこの話題を終わらせないと。
「やっぱり? いやー、アンラッキーだったね」
 アンラッキー。
 そのひとことに深い深い沼へと突き落とされる。学食を食べようと思っていつも持っていくお弁当を持っていかなかったこと、チキンカレーを選んで食べたこと、その中に尋常じゃないほどの風邪薬が混入していたこと、胃がむかむかしたこと、嘔吐に脱水症状、救急車、検査……走馬灯のようによみがえってくる。気持ち悪い。朦朧とする意識の中、死ぬかもしれないと本気で思った四月。家族が帰ったあとホテル雫石で、ひとりぼっちになったときのどうしようもない虚無感。それが全部アンラッキー? 冗談じゃない。たったひとことでこの数週間を済ませられるなんて、そんな――。
「えっ」
 清純くんが声を上げる。
 気づいたときにはもう遅く、わたしはみっともなく泣いていた。
 ふざけないで、ばかにしないで、悔しい。どうということのない言葉でこんなふうになって情けない。
 嗚咽混じりに叫ぶ。
「いやなの! もっ、もういやなの!」
 自分ではすっかり平気だと思っていたけれど、警察や病院の先生、教育関係の偉い人に教師、同級生、他にもたくさんの人たちに事件のことを聞かれたり触れられたりして参っていたようだ。リョーマの学校でヒステリックな姿を晒すなんてとんでもないことだと頭では分かっているのに、体がいうことを聞かない。大粒の涙をぼろぼろと流しながらわめき続ける。たくさんの視線がこちらに注がれる。
 逃げなくちゃ。
 すべての音がやけに大きくはっきりと聞こえる。高校の雑踏までフラッシュバックして、たくさんの声が幾重にも折り重なって気持ち悪い。
 わたしは清純くんの脇をよろよろとすり抜けた。目を丸くした清純くんに手首を掴まれるも振りほどいて叫ぶ。
「やめてよ! 放っておいて! どうして普通に生活させてくれないの!?」
 わたし、おかしくなんかない!
 膝から崩れ落ちてしゃくり上げていると、なにかがドサッと落ちる音がした。
「アネキ!?」
 ぐらぐらする意識の中、散らばった本と走ってくるリョーマが見える。
「うっ、り、リョーマ、ぐ……ひっく」
「アンタ、アネキになにしたの」
 リョーマは怒っていた。隣に来るなりしゃがみ、わたしを引き寄せる。わたしは肩に回った両腕にひどく安心感を覚えた。右腕に顔をうずめるようにして体重を預ける。
 ごめん。
 リョーマをちらりと見上げると、ぞっとするほど恐ろしい顔で清純くんを睨み付けていた。
 ちがう。こんな顔をさせたくて来たんじゃない。ただ喜ばせたかっただけで、でも失敗しちゃって、だめで、こんなお姉ちゃんでごめんなさい。
 言いたいことはあるのに声にできない。息も吸えない。過呼吸だ。
 どうしてうまく生きられないの。
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