ターニング・ダスク

This Fanfiction Was Written by Chisato. Please Don't Reproduce or Republish without Written Permission.


 消毒液の臭いに顔をしかめながら、金井総合病院の白い廊下を進んでいく。お母さんに車で送ってもらったものの、幸村くんに会ってどうするかはまだ決めていない。ただ会わなくちゃという気持ちにサーモンピンクのカーディガンでおおわれた背が押されている。
 幸村精市様と無機質な明朝体で書かれた表札を見つけて立ち止まった。心臓がどきどきしている。わたしはショルダーバッグの中にある手紙を思い、拳を作ってドアをノックした。
「はい」
 と幸村くんの声がする。
 ドアを五センチほど引いてできた隙間から、わたしは顔を覗かせた。久しぶりに見た幸村くんはベッドで起き上がっている。
「幸村くん」
 わたしは言った。幸村くんは目を見開く。
「越前です。……入ってもいいかな?」
 幸村くんはしばらく放心しているようだったけれど、我にかえったような表情で返事をする。
「はい」
 わたしはするするとドアを引いて右足を踏み出す。次に左足を前に進め、体を反転させて静かに閉めた。一呼吸置いて振り返る。
「久しぶり」
「……お久しぶりです」
「来るのが遅くなって、ごめんなさい。手紙は受け取っていたんだけれど、怖くて読めなかったの。それにいろいろあって家から出られなくて――」
 違う、こんな言い訳が言いたいんじゃない。
「あの、わたし、ひどいことをしたよね。いきなり突き放してごめんなさい」
 幸村くんは黙っている。
「あの日いらいらしていて幸村くんに八つ当たりしちゃったの。最低って言ったけれど、最低なのは幸村くんじゃなくてわたしだよね。今日やっと手紙を読んで、それで会わなくちゃって、思って、都合のいいことだとは分かっているけれど」
 わたしはたどたどしく続ける。
「退院してからも友だちでいてくださいって書いてもらえたのが嬉しくて、だから、その」
 と言って息を吸い、頭を下げる。
「本当にごめんなさい」
 わたしは肺の底から言葉を吐き出した。空気が重い。だから、その、から、どうしてごめんなさいに繋がるんだろう。
 二人きりの部屋に沈黙が流れた。真っ白なわたしの頭の中に、清純くんもわたしに謝ったときこんな気持ちだったのかなという考えがしゅっとよぎり、一筋の黒を残す。
「越前さん」
 静けさを破ったのは幸村くんだった。
 わたしはちらりと視線を上げる。
「手紙にも書いたけど、僕だって自分よりも顔色の悪い越前さんを見て安心していたところがあったし、越前さんも怒るんだなってほっとしてしまった部分もありました。すみません。……ただ正直、怒ってもいました。突然あんなふうに言われて驚いたし、わけが分からなかったし、手紙を書いても返事はおろか反応もないまま退院されてしまって」
 幸村くんは言い、続ける。
「でも、もういいです。越前さんを見たらそんなのどうでもよくなってきちゃいました」
 幸村くんはおどけた声で話して、肩をすくめたらしかった。
「幸村くん」
 と口を開き、わたしは顔を上げる。
「どうでもよくないよ。幸村くんが許してもわたしがわたしを許さない。どうしてそんなに優しいの。なんでもっと責めないの? 幸村くんはわたしのことを不思議だって思っているみたいだけれど、わたしからすれば幸村くんだって十分不思議だよ」
 幸村くんは二回まばたきをした。
「越前さんは責めてほしいんですか?」
「そんなことはないけれど、責められる覚悟はして来たし、責められたほうが安心できる。卑怯だけれど、いいよって簡単に言われるよりも、いっそのこと思いきりなじられたほうが楽になれる気がする。」
「なじるって……。じゃあ、代わりにお願いをひとつ聞いてください」
「何?」
 わたしは尋ねる。
「これから精市って呼んでください」
「えっ」
 と声をあげ、幸村くんを凝視する。幸村くんは悪戯っぽく微笑んでいた。
 わたしは戸惑いながら、精市くん、と口の中で音を転がしてみる。
「これからっていうことは、また会ってくれるの?」
「はい」
 幸村くんは、わたしが眩しくて同じ生き物じゃないように思えるときがあると手紙に書いていた。でも今わたしは幸村くんが眩しくて仕方ない。
「……ありがとう」
 と言って目を伏せる。そして視線を上げて問う。
「精市くん、わたしと友だちになってくれますか?」
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