ゆっくりと変化をもって

This Fanfiction Was Written by Chisato. Please Don't Reproduce or Republish without Written Permission.


「僕たち、もう友だちじゃなかったんですか?」
 わたしが精市くんに、友だちになってくれますか、と尋ねると、精市くんは目を丸くして訊いた。
「僕は、屋上で幽霊の話をした日から友だちだと思ってたんですけど。越前さんも、友だちでいいんじゃないかなって言ってたし」
「わたしも友だちだと思っていたけれど、これは、けじめだよ」
「けじめ?」
「うん」
 わたしは頷いた。
「そうだ。わたしが幸村くんじゃなくて精市くんって呼ぶなら、精市くんもわたしのこと、越前さんじゃなくてって名前で呼ぶようにするのはどうかな」
 精市くんは目をぱちくりとさせた。
「……、さん?」
 と呟いて、精市くんは右手を口元に持っていった。夕日に照らされた頬はほんのりと赤かった。
 わたしはなんだか見てはいけないものを見てしまったような気がして顔を背け、こっそりと深呼吸をした。
「うん、そう」
 わたしは言い、続けた。
「敬語もやめてくれると嬉しいな」
「え、でも、年上ですし」
「そうなんだけれど、わたし、敬語ってあんまり好きじゃないの。淋しい感じがする」
 精市くんは首をかしげた。わたしは口を開いた。
「わたし、精市くんともう少し仲良くなってみたい。だから、敬語はちょっとなあって」
 と言って、眉をハの字にして笑った。
 精市くんは驚いたような顔をした。えっと、あの、と口をもごもごさせたけれど、しばらくして応えた。
「分かった」
 そして笑った。春の空のような笑い方だった。

 わたしたちはそんなふうに仲直りをした。仲直りといってしまうと、ひどく陳腐で安っぽく感じられてしまうけれど、ぴったり合う言葉が他に見つからない。
 スクールバッグの外ポケットに入っている携帯電話から、ブラームスの『交響曲第四番』が流れる。二つ折りの本体を開くと、新着メールを知らせるマークが画面に表示されていた。 差出人は精市くんだ。『交響曲第四番』は精市くんのメールが届いたときにだけ鳴るよう設定したから、メールボックスを開かなくても分かる。
 実のところ、わたしたちは仲直りするまでお互いの連絡先を知らなかった。病院にいればいつでも会えたから、交換する必要性を全く感じなかったのだ。でもわたしが退院して今まで通りとはいかなくなった。それに気づいてどちらからともなくメールアドレスと電話番号を教え合い、こうして連絡をとるようになったのだ。
 屋上で待ってるよというメールに、分かった、もう病院の見えるところまで来てるからすぐ着くよと返信する。
 今頃、精市くんの携帯電話はエリック・サティの『ジムノペディ第一番』でわたしのメールを持ち主に知らせているだろう。
 わたしは玄関の自動ドアを通り抜け、屋上へ続く階段を上る。ここに来るのは久しぶりだ。左手に提げた紙袋の持ち手を握り直す。重いドアを開ける。風が吹いた。長くなった前髪が揺らされる。
さん」
 青空の下に精市くんは立っていた。
「精市くん」
「今日は制服なんだね。初めて見たな」
「うん。学校からそのまま来たから」
 わたしは自分のセーラー服を見下ろした。相変わらず高校は息苦しいけれど、また通い始めたのだ。それがきっと正しいし、わたしの望んでいることだった。
 わたしたちは少し色のはげたベンチに腰かける。
「精市くんに渡したいものがあるの」
 と言って、わたしは紙袋を胸の高さまで持ち上げた。
「なんだい?」
「さあ、なんでしょう」
 ふくふくと笑い、紙袋を渡す。
 紙袋にはリョーマがくれたホテル雫石のプレートと、わたしが株分けした水耕栽培用の雫石が入っている。サボテンの花言葉は、燃えるような愛だ。だから、友だちとはいえ男の子に雫石をあげるのはどうかなあと迷ったのだけれど、忍耐とか、雄大、偉大とか、優しさ、暖かさとか、そういう意味もあるから思いきって渡すことにした。
 精市くんは表札を取り出して目を見開く。
「これ」
「精市くんに貸そうと思って。それがあったからわたしは精市くんと知り合えたし、家に帰るぞ、頑張るぞって思えた。こうして退院できたくらいだから効果は保証するよ」
 わたしは笑った。
「ありがとう。……あっ、雫石もある」
「うん。よかったら精市くんのホテル雫石に置いてあげて」
 俺のホテル雫石か、と言って精市くんは頬をかく。
「ありがとう。早速飾りに行こうか」
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