心の声を聴く
This Fanfiction Was Written by Chisato. Please Don't Reproduce or Republish without Written Permission.
ホテル雫石のドアをノックすると、精市くんの返事が聞こえた。わたしは俯いて息を吐き、薬品のにおいがする空気を肺にすっと送り込む。
今から言うこと、することが正しいかは分からない。でも物事は、正しいことだから進めていくんじゃないと思う。
わたしは前を向き、ドアの取っ手を引く。
「突然来てごめんね、入ってもいいかな?」
今日はメールをせず来ていた。もし精市くんにメールをして、来ないでほしいと返信が送られてきてしまえば、会ってはいけない理由ができてしまうからだった。
精市くんは迷うような素振りを見せたあと、どうぞ、と応える。
「ありがとう」
わたしはすっかり定位置となった椅子に座った。これから賭けにでる。
「精市くん、テニス部なの?」
精市くんは顔を歪めた。目が、なんで、どうしてと訴えている。
「昨日の精市くんの様子が気になって、勝手だけれどパソコンで調べてみたの。そしたらいろいろ出てきて」
わたしは言い、続ける。
「都大会と県大会の次は関東大会でしょ。精市くんの学校も県で優勝して関東大会に出るんだよね」
精市くんは顔を真っ青にしている。
「立海大附属中学、だっけ。全国大会二連覇の学校なんてすごいね。新聞にも、立海大附属全国三連覇へって大きく書いてあったよ」
精市くんの唇が震える。
「精市くん、手紙に部長をしてるって書いてたでしょ。そういうところの部長なんて――」
「テニスの話はやめないか」
「どうして?」
わたしは訊く。
「もう終わったんだ」
「どういうこと?」
「終わったんだ! 何もかも!」
と叫び、堰を切ったように責め立てる。
「勝手だけれど調べてみた? 本当に勝手だ! 俺は二度と!」
精市くんは、俺は二度と! というところでひときわ大きな声を出したかとおもうと、顔をくしゃっとさせた。
「二度とテニスができないんだ……!」
精市くんは涙声になっていた。津波のように寄せては返す感情の揺らぎをぶつけるみたいに声を荒げる。
「何が常勝だ! 何が三連覇だ。神の子、幸村精市? 手にうまく力が入らない、ラケットもボールも握れない、そんな俺にどうしろって言うんだ。先生が、手術をしてももうテニスはできないだろうって言ってた……」
精市くんは右手で額を押さえる。
「俺からテニスをとったら何が残る。ずっとテニスをしてきて、俺の一番はテニスで、それなのにこんなふうになるなんて。テニスができなくなるなんて死ぬのと同じだ。なんで俺なんだ」
なんで、なんで、と言いながら、あふれでる激情を押さえきれないみたいに精市くんは泣く。
わたしは背をさすろうと手を伸ばしたけれど、中途半端に開いた手のひらをゆるく握り、引っ込める。
「本当に、もう終わったの?」
精市くんは嗚咽をもらすばかりで応えない。
「……もし終わったのなら、次が始まったということかもしれないよ。自分では終わりだと思っていても実はそれが始まりで、その始まりのために必要な終わりだったってことが」
わたしは静かに言い、続ける。
「終わりっていうのは何かの節目なんだよ。精市くんが病気になっていなかったら、多分それが始まらなかったんだよ」
「何が?」
精市くんが赤い目で尋ねる。
わたしはいたずらっぽく笑って首をかしげる。
「それが分からないところがいいんでしょ? 普通にテニスをしていれば、ただの続きじゃなかったの?」
「病気になっても、やっぱり続きさ」
精市くんは俯き、言った。
わたしは、そうかなあ、とこぼしながら首を捻る。
「こんなふうに泣いたあとでも?」
ちらりと目配せをして、天井を仰ぐ。
「こんなふうに泣けることはそうないものだよ」
そして顔を正面に戻した。力強く、でもやさしい視線で精市くんを射抜く。
「ねえ、本当はどうしたい?」
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